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論壇の“異分子”三浦瑠麗が告白「私は人間失格だ」と思ったとき

国際政治学者・三浦瑠麗さんインタビュー ♯3

政治にはサイエンスとアートの両方がある

──元は筋金入りの文学少女で、農学部に入り、20歳を過ぎたいい大人になってから国際政治学に転身、と異色の経歴ですが、農学部で培ったものは今の研究に影響を与えていますか。

三浦 政治とはそもそもきわめて人間的な営みで、「サイエンス(科学)の部分」と「アート(感情)の部分」の両方が関わっています。サイエンスの部分については、農学部の恩師が前からよく「三浦の書くものは『シビリアンの戦争』の頃からサイエンスだった。それは僕が教えたことだからね」と言っています。たしかに、たとえば移民問題であれば、私がまず気になるのはその国の人口構成です。

 でも、それだけで決定論的に語るつもりはないんです。私は文学少女でもありましたから、Twitterなどから見える人々の欲望や衝動に無関心ではいられない。学者とジャーナリストが同席している勉強会に行くと、私はどっちとでも話がしたい。でも、彼ら同士はそれほど打ち解けた話をしない。私は社会科学の勉強を始めるのは遅かったですし、ある専門分野にガッと集中するタイプじゃない、けれどもそれは遠回りしてきた私の強みでもあると思います。やっぱりそこは繋いだほうが面白いじゃない、と思うのです。邪道とは思われるかもしれませんが。

──邪道ですか。

三浦 でも、私たちは何のために議論したり、評論したりするんだろうって考えるんです。それは結局、現実の様々な矛盾をはらんだ、伝えきれないものを伝えることだったり、理解できないものを理解することだったりすると思うんです。学者って自分でフレームワークを作って、「俺は正しかったぞ」と、そのフレームワークの正しさを確認することに情熱を注ぎすぎて、目の前で起きている物事や生身の人間を疎かにしてしまうことがある。

中島みゆきの『世情』に共感する

──では、三浦さんにとって「学者」って何でしょう。

三浦 私は、学者がもつべき戒めとして思うことは、中島みゆきの『世情』(※)という歌。あれは共感します。あの歌の中に「包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる」という歌詞があるんですね。「シュプレヒコールの波」の中でもみくちゃにされながら、見果てぬ夢を追いかける、行動する人間が正しいというわけではないんです。ただ、その哀しさみたいなものに興味をもち続けたいとは思いますね。間違っていても、無駄なことであっても、それが人間の姿だと思うんです。私は人間に興味があります。

 今、混沌とした時代の中で、みんなが大きな物語を見つけ出せないでいます。右も左も、保守もリベラルも「弱者の地位の奪い合い」をして、「○○反対」と否定形でしか理想を語れなくなってしまっている。そんなときこそ、私は人間賛歌、生きることへの賛歌をやるべきだと思うんですよ。クリント・イーストウッドみたいに。

──面白いですね。人間嫌いの人間賛歌(笑)。

三浦 なんかちょっと変ですかね。歪んでますね(笑)。でも、今、陣営対立で社会が分断され、自分と反対側にいる相手に一律に悪のレッテルの貼りあいをしているでしょう。そこで描かれる悪というのは実に平板なんですね。そんなつまらない悪を描くのであれば、「悪というものもこの世の中にはどうやらあるらしい。でも、人間って素晴らしいよ。生きることって素晴らしいよ」と伝えたいじゃないですか。

0歳児から娘を保育園に預け、24時間スーパーの袋を提げて夜道を歩いた

──三浦さんは6歳になる女の子の母親でもありますね。

三浦 今日は0歳児から6年間娘がお世話になった保育園の卒園式でした。24時間営業のスーパーの重い袋を提げて、夜道を歯を食いしばりながら歩いた日々もありますが、やはり女に生まれてよかったなと思いますね。

三浦瑠麗さん ©文藝春秋

──炎上騒ぎのときは、ずいぶん嫌がらせもあったようですが。

三浦 そうですね。近畿財務局の職員の方が自殺されて、「人が死ぬほどの問題じゃない」と発言したときも、先ほど話したように「不祥事があったとしても、きちんと事実を明らかにすれば、人が命を絶つ必要なんてまったくないのだ」という意味で発言したのですが、「三浦は人の痛みがわからないのか」「人間の心を持たない冷酷な女だ」と言われました。それはその人の主観で私の言葉を曲解しているだけですから、まったく気にしません。でも、私に向けられる憎しみの中に「お前の子どもも死んでみろ」っていうのがあって。

──それはひどいですね。三浦さんは、結婚して最初に授かった赤ちゃんを死産で失っていることも雑誌連載で明かされています。「ワイドナショー」におけるスリーパーセル発言のときは、勤務されている東大にも抗議や嫌がらせの電話がかかってくると報道されていました。