炎上騒ぎで時にバッシングを受けながらもTV各局に引っ張りだこの三浦瑠麗さん。東大卒の華やかな経歴の陰で、実は意外すぎる回り道をしているのだが、彼女はここでも「異色」であり、「異分子」だった。遠回りの末に、三浦さんが辿り着いた境地とは?(#1#2より続く)

21歳まで総理大臣の名前もよく知らなかった

──三浦さんは東大理科一類に入学後、2001年に農学部生物環境科学課程に進学されますが、のちに国際政治学に転身されます。1980年生まれの三浦さんですが、初めて社会科学の本を読んだのは2001年の21歳のころで、それまでは総理大臣の名前もよく知らないくらいだったそうですね。

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三浦 極端ですよね(笑)。社会科学の本が家になかったんですよね。ほとんどが文学。せいぜい哲学や思想ぐらいで。夫と出会った時に、最初は、なんて乱暴な議論をする人なんだと思っていたんです。元文学少女からすると、チャーチル好きの彼は「ずいぶん単純だな」という印象だったのですが、よく話を聞いてみると、自分が知らなかった論理体系や知らなかった社会がそこにあって、面白いなと興味をひかれました。

 でも、やっぱり一番大きかったのは、テレビの存在ですね。2003年3月20日にイラク戦争が始まったんですが、私たちが入籍したのはその1週間前の3月13日でした。そのちょっと前に一人暮らしを始めるまで、私は実家の教育方針でテレビというものをちゃんと見たことがありませんでした。東京に引っ越して、ケーブルテレビを入れて、今まで見たこともないお笑い番組なんかを見て、「すごい、テレビって」と思っている時に、バグダッドの空襲が始まった。皆さんが湾岸戦争でした経験を、私はイラク戦争で初めてしているんですよね。

三浦瑠麗さん ©榎本麻美/文藝春秋

──湾岸戦争勃発時は、CNNが、アメリカ空軍がイラクに向けてミサイルを発射する瞬間を全世界に生中継しました。歴史上初めて戦争がテレビで生中継されたわけです。イラク戦争ではメディア技術の進歩を背景に、さらに夥しい数のテレビ報道がなされました。

三浦 この、今まさに破壊されている石造りの屋根の下に私が居たとしたらどうなんだろう、と思ったのがすべての始まりですね。留年している間に船橋洋一さんの政治学のゼミを取ったことなど、実際にはほかの出会いも大きかったと思いますが、やっぱりいまだにこの空爆の光景を思い出すんですよね。

 ただ、当時は学者になりたいと思っていたわけではないんです。当時、外務省の中国課に勤務していて帰りの遅かった夫を待ちながら一人でテレビを見ていて、国際情勢に詳しくなったのですが、「書きたいこと」がこのとき私の中に生まれたのかもしれません。今でも書きたいことがなくなったら終わりだと思っています。

就職活動を諦めたときに、一度プライドを完全にへし折られた

──2004年には自民党が主催した第1回「国際政治・外交論文コンテスト」の総裁賞を受賞し、東大大学院公共政策学教育部専門修士課程に進学、リベラル派として知られる国際政治学者の藤原帰一教授のもとで学び始めます。ずいぶん遅いスタートの割に最初から順風満帆だなというイメージです。

三浦 いえいえ、まず私は留年したときに両親に半ば見放されていますし、就職活動をしなかったことでも挫折しているんです。就職活動しなかったと言うと、みんなに「アホやな」と言われるんですが、面接では自分をアピールしなくちゃいけないじゃないですか。私、本当に嘘がつけないんですよ。言うことも聞かないし、指図にも従えないし……社会人失格ですよね。

 結局、結婚して、家に居て、テレビを見て、今まで食べられなかったようなジャンクフードのお菓子食べて、っていう生活をして、ひとしきり自由を満喫したら、私は何にもなれなかったんだから、もう何だっていいじゃないか、と開き直れました。でも、このときに「私はどうしようもない人間だ」と一度完全にプライドがへし折られていますね。