オランダやベルギーの安楽死は合法化された当初、もうどうしても救命することができない終末期の人に緩和を尽くしてもなお耐えがたい痛み苦しみがある場合の、最後の例外的な救済手段と捉えられていた。合法化には、すでに公然の秘密として行われていた安楽死に規制をかけ、医師の行為の違法性が阻却される条件を明確にする狙いもあった。その意味では、安楽死は「合法化された」というよりも「非犯罪化された」という方が厳密には正しい。
「合法的な医療サービスであり、利用するのは個人の権利」
その後の時間経過の中で少しずつ対象者が拡大し、さまざまに安楽死の捉え方が変わってきているのは事実だが、カナダでは最初から安楽死が緩和ケアの一端に位置づけられて、例外的な措置というよりも日常的な終末期医療のひとつの選択肢として合法化されたことになるのではないか。それは、カナダでは法制化の意味合いそのものまでが、例外的に際どい行為をする医師の免責(違法性の阻却)から、患者の権利としての安楽死の容認へと飛躍してしまったことを意味してはいないだろうか。
ケベック州の高齢者問題大臣の発言にもそれはうかがわれるが、2020年にも同州の小さな訴訟で印象的な判決が出ている。夫が申請し認められた安楽死を止めようと妻が起こした訴訟で、妻の敗訴を言い渡した判決は「安楽死は、最高裁が合憲と認めて立法府がそれをルール化したものである以上、合法的な医療サービスであり、それを利用するのは個人の権利である」と書いた。「医療サービス」「個人の権利」という言葉が意味深い。
こうしたカナダの先鋭性を「カナダ固有のMAIDイデオロギー」だと指摘するのは米国国立衛生研究所の生命倫理学者スコット・キムだ。キムは2023年2月にカナダの新聞「グローブ・アンド・メール」に寄稿し、「MAIDイデオロギー」の特徴は安楽死を当たり前の(ノーマルな)治療とする捉え方と医師が積極的に推進する姿勢のふたつが融合していることだと書いている。