『ギフトライフ』(古川真人 著)新潮社

 人口が4000万人まで減少した近未来の日本。そこでは、政府と企業がビッグデータを共有し、各人の属性やふるまいに応じて、「信用ポイント」を付与している。この「信用ポイント」は電子マネーとして利用でき、贈与や売買も認められている。たとえば、社会保障費がかかる者が早期の安楽死を選択すると、遺族にポイントを贈与できる。そればかりか、重度障害者には、家族の同意による、政府=企業への「生体贈与」(「ギフトライフ」)も公認されている。

 このように、本作の世界では、社会への有用性や生産性が数値化・可視化されるまでにいたっている。ここには、「窓」や「ラッコの家」で、相模原障害者施設殺傷事件に見られる現代の優生思想を問題にしてきた、古川の持続的な危機感が表われている。

 物語は、多くのポイントが得られる多子家庭の認定を受け、快適な生活のためならば自由は不要だと考える「ぼく」と、重度障害者の妹にかかる費用のため、両親が安楽死を選び、最後は妹を「生体贈与」に供することを決断してしまった「わたし」の語りが交錯して進んでいく。ポジティヴな「ぼく」の語りと対照的に、「わたし」の語りは後悔に彩られている。この仕掛けから、読者は、社会における分断そのものを実感できるようになっている。

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 後半になって、この二人が「適性判断学校」のときに出会っていたことが分かる。宿泊学習で、導入が検討され始めていた「生体贈与」の是非をめぐる「ディベート」が行なわれる。このとき、反対を訴えていたのが「わたし」だった。しかし、「ぼく」の目に映った「わたし」は、息継ぎ、沈黙、落ち着かない視線、定まらない身振りなど、全てにおいて弱点だらけで、孤立していった。

 ここで「ぼく」が切り捨てた、どこに辿り着くのか分からず、揺らぎ続ける「わたし」の語りこそは文学の可能性でもある。およそ効率とは無縁で人を苛立たせる、しかしこの社会の価値観に決して同意できないという強い意志に貫かれ、あえぎながら紡ぎ出される言葉に、「ぼく」は向き合えなかった。

 この物語で、「ぼく」と「わたし」はすれ違ったままに終わる。他方、もう一人の重要な人物で、ある許しがたい犯罪を計画する「青年」は「わたし」と出会えている。ここからは、本作の批判の切っ先が、特異な犯罪を起こす第三者としての「青年」ではなく、むしろ「快適」な生活の中で「善良」に暮らそうとすることで、「わたし」たちを不可視にし、「青年」のような犯罪を生みだしてしまう「ぼく」に向かっていることを読み取れる。

 このディストピアには誰もが無関係でないことを知ることで初めて、幻想の木立をさまよい続ける「わたし」と再会する道が開かれてくるのだろう。

ふるかわまこと/1988年7月、福岡県生まれ。國學院大学文学部中退。2016年「縫わんばならん」で新潮新人賞を受賞。20年、第162回芥川龍之介賞を「背高泡立草」で受賞。神奈川県横浜市在住。
 

むらかみかつなお/1978年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。著書に『動物の声、他者の声』。