息をして、ここに生きて存在してくれてありがとう。
私はこの本を読みながら、「ニシカナコ」が、西加奈子が、あなたが、ここにいてくれるということが、どれほどまでに尊いことかを、幾度も噛み締めた。
これは、ひとりの作家が、カナダ、バンクーバーという異国の地で、ステージ2Bのトリプルネガティブ乳がんを患い、コロナに罹患し、両胸を切除することになる、という物語である。
けれどこれは「闘病記」ではない。「これはあくまで治療だ。闘いではない。たまたま生まれて、生きようとしているがんが、私の右胸にある。それが事実で、それだけだ。」と作家はきっぱり言い切る。実際、自分の体の中にある、病を、弱さを、闇を、恐れを、見つめようとする態度は、徹底的だ。それは同時に、カナダに、日本に、異なる文化に、言葉に、社会に、世界に、向き合うことでもある。
そんななか、作家が出会うひとりひとりが、バンクーバーという街が、ときにはいいかげんだったりしつつも、尊厳を尊び、「愛を持って人に接する」様は、どこまでも明るく眩しい。
「あなたの体のボスは、あなたやねんから。」というような声がけが、ごくあたりまえに為される徹底ぶりよ。
胸と乳首をなくした作家は書く。「私は私だ。『見え』は関係がない。」「私は、私だ。私は女性で、そして最高だ。」そして、死の恐怖に対峙したとき「みっともなく震えている自分に、『分かるで、めっちゃ怖いよな!』」そう言って手を繋ぎ、肩を叩いてくれる存在。それは作家にとって、「自分」でもあり、乳がんサバイバーの先輩たちでもあった。
「キャンサーシスターフッドやな!」
私は、ぎゅうぎゅうの山手線の中で、この本を、言葉をなぞりながら泣いていた。
私はがんを経験していないし、その恐怖はわかりえない。けれどやっぱりみっともなく震えることはあって、そんな私にも、作家が、作家たちが、手をのばそうとしてくれていたから。
この本には、作家自身の言葉だけでなく、ヴァージニア・ウルフから林芙美子、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、ゼイディー・スミスまで作家たちの言葉が、幾つも引用されている。
作家シスターフッドだ。
生きて死んだ、今生きているひとりひとりが、言葉を通して、手を繋ごうと、肩を叩こうとしてくれていた。
私は、私たちは、生きていれば、ときには病にも、嵐にも遭遇する。それに死ぬ。
「自分の恐怖を、誰かのものと比較する必要はない。全くない。/怖いものは、怖いのだ。」
共に息をし、光と闇に目をこらそうとしてくれる、存在。それは目に見えないくもの糸みたいに、私のまわりにも無数に伸びているのかもしれない。
いま、私もそこへ手をのばしたい。
いつか必ず死ぬ、私たちの、シスターフッド。
にしかなこ/1977年、イラン・テヘラン生まれ。エジプトのカイロ、大阪で育つ。2004年に『あおい』でデビュー。07年『通天閣』で織田作之助賞、13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、15年『サラバ!』で直木賞を受賞。近著に『夜が明ける』。
こばやしえりか/1978年生まれ。作家・漫画家。著書に『トリニティ、トリニティ、トリニティ』『最後の挨拶 His Last Bow』など。