『どんがら トヨタエンジニアの反骨』(清武英利 著)講談社

 トヨタのエンジニア、多田哲哉と彼のチームが「究極の大企業」の中の障壁をひとつまたひとつと突破し、ついにスポーツカー新「86」(ハチロク)を世に出すまでの軌跡を描く。

 多田はチーフエンジニア。かつては「主査」と呼ばれていた職位だ。ただ図面を引くだけではない。クルマのコンセプトを決め、トータルプランを立て、開発から生産、宣伝・販売に至るまですべての活動を指揮・統率する。元社長の豊田英二は「主査は製品の社長、社長は主査の助っ人」と言い切った。独自の主査制度がトヨタ車の競争力の源泉だった。

 しかし、トヨタが巨大企業となるにつれて車種は増え、いつしか我慢することがチーフエンジニアの仕事になった。コストを1円でも下げるための縦横の調整に追いまくられる。鬱屈した日々を送る多田にスポーツカー開発の仕事が降ってくる。

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 それまでの8年間、トヨタは新しいスポーツカーを発表していなかった。「いまどきスポーツカーがうまくいくわけがない」「オジサン客相手の道楽」――ありとあらゆる抵抗に直面する。

 しかし多田はひるまない。「このクルマだけは好き勝手にやる」と決意し、「迎合はしない、情熱でつくる」をチームのスローガンに掲げる。

 開発の終盤になると役員によるデザイン審査会がある。3回実施し、全部クリアしないと発売できない。ところが、スポーツカーはあくまでも趣味のクルマ。大勢の役員が口を出すと、心に刺さらないデザインに落ち着いてしまう。そこで2回目は役員によるデザイン審査会を止め、実際にスポーツカーに乗っている社員を集めて意見を聞く。最後の3回目に迎えたのは豊田章男社長ただ一人。「うん、いいね」――豊田の一言で多田の思い通りのデザインに決まった。

 2012年に発売された86には目標台数の7倍の予約が押し寄せ、2年間で10万台を売るヒットを記録した。

 会社のためでなく、自分のために仕事をする。会社に使われるのではなく、自分がやりたいことをやるために会社を使う。大企業のサラリーマンの理想の姿を多田に見る。

 その絶対の条件は「出世のために仕事をしない」こと。そのときは嬉しくても、昇進や表彰などは定年後には泡のように消えてしまう。ひたすらに手ごたえのある仕事を追い求める。何度も誰に対しても正々堂々とものを言い、自らの理想を貫く。だからこそ、危機に陥るたびに社内から意外な支援者が出てくる。逆説的にトヨタの懐の深さも見えてくる。

 仕事の最大の報酬は仕事そのもの――この不変の真実を思い知らされる。爽快極まりない読後感。組織の中で働くすべての人に読んでもらいたい力作だ。

きよたけひでとし/1950年、宮崎県生まれ。75年に読売新聞入社。2011年以降、ノンフィクション作家として活躍。14年に『しんがり』で講談社ノンフィクション賞、18年に『石つぶて』で大宅壮一ノンフィクション賞読者賞を受賞。
 

くすのきけん/1964年、東京都生まれ。一橋大学大学院経営管理研究科国際企業戦略専攻教授。著書に『絶対悲観主義』等。