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 ここで本来の目的を思い出し、道行く男性に声をかけた。今回、能登半島を訪れたのは、被害の全容を取材したいというのもあったが、それよりも大きな目的は、被災地域の現状がどうなっているのか、何があって何が足りないのか、被災された方が何を求めているのかを把握して、発信することだと考えていた。そのため、多くの人に話を聞きたいと思っていた。

白丸漁港周辺地域

現地で聞いた“最も困っていること”

 70代の男性の話では、数日前にこの地区のメインの道路が通れるようになり、物資が潤沢に届くようになったという。最も困っていることを尋ねると、「一番は、水道やね」と即答された。震災から12日が過ぎ、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。少しでも前に進んでいこうと、被災した自宅を掃除しようにも、水道から水が出ないのでそれができない。

 水道は、生命に関わる重要なインフラだ。飲料や食事だけではなく、トイレや洗濯、お風呂にも欠かせない。しかし、津波により浸水した地域では、より重要な意味を持つ。浸水して泥だらけになった家を片付けるには、水が出ないと話にならない。「水が出ないと、ボランティアの人にも来てもらえない」、水道の復旧には相当な時間がかかりそうだと、男性は肩を落とした。

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 次に訪れたのは、珠洲市宝立町にある鵜飼漁港だ。向かっている間も、道路沿いの家々がことごとく全壊している。地震により、これほど多くの建物が倒壊している現場は、見たことがなかった。鵜飼漁港のすぐ近くには、観光地として知られる見附島がある。見附島も地震と津波によって崩れて小さくなってしまったが、沿岸の市街地にも大きな被害が出ていた。

鵜飼漁港そばにある「えんむすびーち」のベル。奥に見えるのが見附島

 津波によって押し流された複数の車が、建物の前で折り重なるように山となっている。地面の隆起が激しく、道路はデコボコだ。マンホールは最大で1m以上も地面から飛び出している。橋が浮き上がり、前後で50センチほどの段差が生じていた。

鵜飼漁港周辺地域。津波の被害の甚大さがわかる

 ちょうど家を片付けている男性がいたので、話を聞いた。60代の男性は、昨年仕事を引退し、漁師になろうと金沢から引っ越してきたという。昨年の暮れに建てたばかりの家を、津波が襲った。趣味で集めていたレコード2000枚も全滅した。「もう何から手をつけていいのか分からない。面白いもんやな。大当たりや」と力なく笑った。

 さらに能登半島を先へと進み、珠洲市の内陸部を走った。避難所が幾つかあったが、自衛隊により物資が運び込まれていた。朝から降り続いている雪が激しさを増し、路面の積雪がみるみる増えてゆく。

鵜飼漁港周辺

 走行している車はほとんど見なくなり、安全策を取って山間部を避け、海沿いに戻り能登半島の先へと向かった。