不動産価格の値上がりが激しくなっている。アベノミクスが掲げた金融緩和政策は不動産マーケットに大量のマネーを供給することにつながり、不動産価格は上昇を続けている。
つい先日発表された公示価格でも、東京の銀座、山野楽器本店で1平方メートルあたり5550万円と過去最高を更新し、平成バブル時を上回る状況になっているのだが、今回の地価の上昇についてメディアからの批判の声は不思議なほど聞こえてこない。
平成バブル時には「地価を下げろ」の大合唱だったのに
平成バブル時には、このまま地価上昇が続けば国民は「家を買えなくなる」とまで言われ、NHKでは1990年10月「緊急・土地改革 地価は下げられる」という5夜連続の特集番組を組んで、地価引き下げの必要性を強調したというのに、だ。
ではなぜ、今回の「地価暴騰」に対して批判の声が小さいのだろうか。実は不動産に対する人々の立ち位置が平成バブル当時とは激変しているのである。
家を買う年齢層は比較的若い世代だとして仮に年齢30歳から49歳までをその対象としてみよう。1990年バブル真っ盛りの時代の同年齢層の人口は約3646万人、これは全人口の3割近くの29.5%に相当する。現在(2015年)ではこの数は約3400万人、全人口に占める割合は26.8%に低下している。それでも総数にして200万人程度の需要減少であり、この間東京への人口流入は続いたので、対象年齢の人口減少だけを理由に需要の減少が地価上昇への批判が少ない原因とするのには無理があろう。
すでに親世代が家を所有しているという決定的な差
ポイントは、現在の対象年齢の親世代、つまり実家の多くがすでに大都市郊外部などに家を所有しているということにある。90年代はまだ地方から東京に流入する人口移動が圧倒的に多く、家を確保する必要があったために、家に対する需要が大きかったが、現在は大都市郊外部で育ったジュニアたちにとって家を持つことは人生の中でそれほど切実な問題ではない。
むしろ彼らの親の世代からみれば、既に所有しているマンションなどの不動産が値上がりすることは、自らの資産の「含み益」が上昇していることとなる。あるいは賃貸用不動産を所有している人にとって、不動産市場が活発になり賃料収入が上がることはむしろ「歓迎」なのである。
平成バブルまではまだ多くの国民にとって家を持つことが人生の大きな目的であった。したがって地価が上昇し続けることは彼らの夢の実現を阻むものとして「問題」なのであった。ところが、現在の家の買い方を見ていると、人々は値上がりするマンションはどのエリアのどの駅であるかを一生懸命議論し、吟味している。
今、人々が不動産に求めているのは財産としての「値上がり」
逆に言えば、今の需要層は地価が値下がりを続けている状態であるならば、住む家に困っているわけではないので「別に買わなくてもよい」というような状態にあるのだ。つまり需要自体が、平成バブル時は「住む」ための家であり、その家をとにかく確保することが目的であったのに対して、今の需要は財産として「値上がり」をしてほしいという欲望の対象としての家になっているのだ。
だから、家の価格が上がるうちに、ローンの金利が低いうちに、早くこの財産ゲームに参加したいという程度の動機にすぎないともいえるのだ。
この「持てる者」と「持たざる者」の形勢逆転が今の不動産バブルへの温度感の違いを表しているのである。