『夜明けを待つ』(佐々涼子 著)集英社インターナショナル

 希望という言葉は耳に優しく、時に安売りされ、消費されていく。本書はノンフィクションの名手である著者による初のエッセイとルポルタージュ集だが、ここで描かれる希望はそのようなのっぺりとした平坦なものではない。それは石が川を転がり、あちこちにぶつかった末に辿り着くように、傷つきながらも時間をかけて醸成された深い祈りのようなものだ。

〈ある日、死体の気分はどんなものだろうかと思い、焼き場に身体を横たえてみた。/森の木々がそこだけぽっかりと穴をあけており、青い空が見える。髪にも、手足にも誰かの遺灰がついた〉(「悟らない」)

 タイの森の僧院で、著者は火葬場だという木の生えていない広場に横たわる。これまで国境を越える遺体搬送を追った『エンジェルフライト』や、東日本大震災の犠牲と再生を描いた『紙つなげ!』、終末期医療のあり方を問うた『エンド・オブ・ライフ』など生と死を扱ってきたが、ある日何も書けなくなった。そこで世界を旅し、各地の仏教施設やスピリチュアル・コミュニティを訪ね歩いた。

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 その場所では言葉がだんだん消えていき、静かになっていったという。著者は「何かを言葉にすることは、昆虫採集のようなものだ」と感じる。捕まえられた蝶は、もはや飛んでいるときの蝶ではない。言葉として事象を捕捉した途端、それは事象そのものではなくなる。言葉は、ある意味で死骸だったと。

 それでも言葉を書き続けるのはなぜか。特に心に残ったのは「ダブルリミテッド」というルポルタージュである。ダブルリミテッドとは、日本語も母語も年齢相応の言語力に達していないことを指す。元日本語教師の著者が聞いたのは、悲しいという言葉を日本語でも母語でも知らない子どもの存在だ。悲しいという感情の言葉がなければ、どうやって生きていくのだろうか。

 秋田県の日本語教師は、なぜ言葉を教えるかについて、中国残留婦人・孤児の通訳をした時の話をする。日本人の家族にほんの一握りの米と引き換えに50も歳が離れた中国人男性と結婚させられた女性は、実母に会うと胸ぐらを掴んで、「なぜ、私を捨てた」と叫んだ。別の孤児の男性は、なぜ自分だけ置いていかれたか尋ねると、母は「兄弟の中であなたが一番ニコニコして、かわいかったのよ」と泣いた。

 言葉がなければ、悲しみも怒りも絶望も、そして赦しも希望も紡げない。宗教は怒りも悲しみも手放せと諭すが、著者はそれらの感情を丸ごと抱き締める。

 あとがきには、著者が悪性の脳腫瘍に冒され、平均余命は14か月と綴られる。この病気は「希少がん」と呼ばれるものだが、それを「希望のがん」と捉えていると述べる。その希望の一端は、言葉への、そして人間への剛健なまでの信頼ではないかと感じた。

ささりょうこ/1968年生まれ。ノンフィクション作家。2012年、『エンジェルフライト』で開高健ノンフィクション賞を受賞。14年、『紙つなげ!』で紀伊國屋書店キノベス!第1位など、20年、『エンド・オブ・ライフ』でYahoo!ニュース―本屋大賞2020年ノンフィクション本大賞に輝いた。
 

かわいかおり/1974年生まれ。ノンフィクション作家。『選べなかった命』で大宅賞などを受賞。近刊に『老化は治療できるか』。