「人を愛するためには、相手が姿を隠してくれなけりゃだめだ、相手が顔を見せたとたん、愛は消えてしまうのだよ」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟〈上〉』新潮文庫・原卓也訳)
『カラマーゾフの兄弟』初読時、次男・イワンのこのセリフがとりわけ心に残った。人類全体に向けて親愛の情を持ちながらも、私たちは「顔」の見える身近な人間に怒りを覚えたり憎んだりする。ただ文字通りに隣人を愛することが、どれほど難しいことか。矛盾なく両立してしまうこれらの感情に、どう折り合いをつけるべきなのだろう。このことが当時の私にとっては、後に続くかの有名な「大審問官」の件よりも、切実な命題であるように思えてならなかったのだ。
太宰治賞受賞作の『自分以外全員他人』は、かような問題に直面している男の物語である。マッサージ店に勤務する44歳の独身男性・柳田譲は「正しく生きたい自分」と「身勝手に振る舞う他人」の狭間で懊悩する。慢性的な希死念慮に苛まれながらも、社会の規範に沿って過ごし、人にはなるべく親切にしたい。その一方で、自分本位の働き方をする同僚や横柄な常連客に苛立ち、電車ではマナーの悪い客にいちいち辟易してしまう。この感情が暴走する前に、他人に迷惑をかけてしまう前に、ひっそりと生きるのをやめたい。来年の10月を過ぎれば自死でも死亡保険が下りるようになる。それまでは――。
そんな彼がかつての同僚から「鬱が良くなった」と聞いてクロスバイクを購入するところから物語は始まる。通勤用として導入したものがだんだんと興が乗ってきて、晴れた休日には遠方へのサイクリングを嗜むようになる。住まいのある高円寺を起点に、代々木公園や砧公園、はては立川の昭和記念公園へと、徐々に距離を伸ばしていく彼が感じているのは、日常の些事を突き抜けた清々しさだ。「ただ、自分、という感覚だけがあった。どこまでも広くて青い空の下、ただそれだけがあった。その時私は、自分が本当に求めているものを知ったような気がした」。
全身で感じる「自分」。しかしその安寧に水を差すのは、悲しいかな、やはり「他人」なのだ。不必要な幅寄せをしてくる車、堂々と逆走する自転車。暗黙の了解でテリトリーが保たれていた駐輪場に、ふいに訪れる不穏。相も変わらずやってくる厄介な常連に、デリカシーのかけらもない同僚。まともに暮らしている「自分」の尊厳が、たくさんの非情な「他人」によって踏みにじられていく。「顔」のみえる「他人」によって。やり場を失った親切心が歯軋りとなって、耳元で響いてくるようであった。
私にこの本を手渡した友人は「失われて久しいマジな魂の叫び」と言った。これほどまで端的にこの作品の結末をあらわした言葉は、他に見つからない。
にしむらりょう/1977年鹿児島県生まれ。東京都在住。鹿児島県立鹿児島水産高等学校卒業。2023年、「自分以外全員他人」で第39回太宰治賞受賞。本作がデビュー作。
たかはしごうた/1996年、東京都生まれ。書店員。千駄木・往来堂書店の文芸・文庫・海外文学・フードカルチャー棚担当。