「本は100冊あればいい。小さな本棚ひとつに収まる量。だれでも買える。だれでも持てる。注意が必要なのは、『本は100冊読めばいい』ではないことだ」とは、朝日新聞編集委員・近藤康太郎氏の言葉だ。朝日新聞社に入社後、35年間文章を書き続けてきた近藤氏は、名文記者として知られている。そしてその文章術の裏には、同氏ならではの“読書術”があるという。

 ここでは、近藤氏が実践してきた読書のコツやロジックを惜しみなく綴った著書『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)より、「第7章 読書の愉楽:孤独の読書/みんなの読書」を一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

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生まれて、生きて、死ぬ

 現代のわたしたちは人類史上かつてない激変の時代を生きている。

 テレビでもネットでも、あるいは書籍の広告でも、毎日、そう喧伝している。

 うそっぱちである。すべての人間が、自分の生きている時代を特別だ、かつてない激変の時代だと思っている。

「わたしたち」が、そんなに特別であるはずがない。試みに、昭和30年ごろの、小津安二郎監督のモノクロ映画を観ればいい。いまのわたしたちの感覚からすれば、なんとものどかな時代を生きているように見える登場人物たち。木暮実千代が、しかし、「たいへんな違いねえ」と時代の激変を嘆いている(「お茶漬の味」)。

 すべての人間にとって、自分の生きている時代は史上初。あたりまえだ。自分が生まれて、生きて、死ぬ。それ以上に「たいへんな事件」があるだろうか。

SNSを断ちひとりになる――我に返る

 ただ、ひとりになるのが難しい時代になったとだけは、どうやら言えそうだ。いまの時代ほど、1人でいることが忌避される時代もない。リアルの世界で、つながっていたい。浮きたくない。「ぼっち」を避けたい。スケジュール帳に空欄があるのを恐れる。だからみな、空気を読んで、顔色をうかがっている。みながみなに、忖度して生きている。

 バーチャルの世界でも、「いいね」やフォロワー数が生きるよりどころ。だが、ソーシャルなネットワークなどは幻想だ。あれは、企業がカネもうけをしているだけだ。いいねやリツイートの数で、まるで自分が承認されたように錯覚する。そうした幻覚を利用した21世紀のドラッグがSNSだ。

 ドラッグと同じだから、摂取すればするほど苦しくなる。つながればつながるほど、さびしくなる。ますます、1人の時間が怖くなる。そんな時代に正気を保っていたかったら、ときたま、体をクリーンにすることだ。70年代のローリング・ストーンズ、キース・リチャーズのように。コンサートツアーに出る前は、どんなに苦しくてもドラッグを断つ。明日も生きて、ステージに立っていたいのならば。