「本は100冊あればいい。小さな本棚ひとつに収まる量。だれでも買える。だれでも持てる。注意が必要なのは、『本は100冊読めばいい』ではないことだ」とは、朝日新聞編集委員・近藤康太郎氏の言葉だ。朝日新聞社に入社後、35年間文章を書き続けてきた近藤氏は、名文記者として知られている。そしてその文章術の裏には、同氏ならではの“読書術”があるという。
ここでは、近藤氏が実践してきた読書のコツやロジックを惜しみなく綴った著書『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)より、「第9章 百冊で耕す:読むことは愛されること/読むことは愛するということ」を一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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許されるひとり遊びは、本を読むことだった
年の近い男三兄弟で、両親は共働きだったから、幼児のときは保育園に、小学校では放課後も児童館へ預けられていた。わたしは共同生活が極端に苦手なので、苦しい思い出しかない。学校のあとまで児童館へ行けとは、地獄だった。
いま思えば、そのせいで本を読む習慣を身につけたのかもしれない。共同生活の場で、みなと遊ばないでいる、ひとりでいる。そのために、本を手にする。唯一許されるひとり遊びは、本を読むことだった。なにか本を読む、読んだふりをしていれば、大人は安心する。そのことに味をしめたのだろう。
保育園の年長組から、自由時間は本ばかり読んでいた。わりあい識字は早かったので、絵本ではなく、世界の童話集を読んでいた。本の数は限られているから、同じものを繰り返し読む。いまもその癖が抜けない。
年長組の保育士は、佐藤順子さんといった。わたしにしては珍しく、いまでもはっきり顔と名前を覚えている。若く、色白で、すいこまれそうな大きく黒い瞳だった。
自分は、昔から愛嬌のない、子供らしくない子供であった。祖父に心配されるほど発話するのが遅かった。ほとんど口をきかない。子供らしくはしゃがない。あどけなさがない。
大人たちにかわいがられなかった。そのころの写真を見ても、あまり笑っていない。カメラの方さえ見ていない。
しかし「順子先生」だけは、なぜか親切にしてくれた。自宅に呼ばれ、泊めてもらったことも何度かある。
手渡された童話集
園児の誕生日には、担当の保育士がカードをくれる決まりになっていた。6歳の誕生カードが残っている。相変わらずカメラを見ず、髪の毛が寝癖で逆立った自分が写っている。
写真に「順子先生」のメッセージが寄せられていた。
「こうちゃんは、いつも本をよんでいましたね。小がっこうにあがっても、たくさん本をよむのかな」
3月、卒園式が終わり、保育園前の狭い歩道を、母親に連れられ歩いていた。園の門柱を抜けると、「順子先生」がわたしの名前を呼びながら、大股で走ってきた。
「これ! 忘れたわよ!」
飽きもせずわたしが繰り返し読んでいた童話集を手渡された。卒園のプレゼント、だったのだろう。