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「恋人以外の女性も、彼に寄ってくる」村上春樹作品の主人公は、なぜ受け身なのにモテるのか

『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』より #2

2023/05/02

genre : ライフ, 読書, 社会

note

いま「本を読む」という行為はちょっと変わったふるまいである

 本を読むと、もてる。

 そう強弁するつもりは、いくら牽強付会なわたしにも、さすがにない。ただ、「本を読む」とは、ちょっと変わった行為、人と違うふるまいだということは、覚えておいていい。

写真はイメージです ©iStock.com

 いま、東京で電車に乗っている人に、本を読んでいる人はまずいない。ほぼ全員が、スマートフォンの画面をのぞき込んでいる。

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 もはや信じられないが、わたしが学生のころ、つまり40年ほど前になるが、男性のほとんどは電車で漫画雑誌を読んでいた。いま、漫画雑誌を読んでいる人を見ると、なんだかほっとする、安心する。大きな本をかかえて夢中に読んでいる小学生をたまに見かけると、図書カードをあげたくなる。それぐらい、本を読むという行為は、特異なことになった。マイナーな行動になった。

村上春樹の男たちは、なぜ、もてるのか

 村上春樹の初期作品では、どう見てもあまり魅力的とは思えない受け身の主人公が、いつでも首尾よく恋人を得る。恋人以外の女性も、彼に寄ってくる。

 取材先のある文芸評論家が「女の子とねんごろになったあとでなく、その前のこと、どうやって仲良くなるのか、その過程を書いてほしいよ」と冗談半分で話していたのを覚えている。その評論家には「童貞論」の論考があった。

 リアルの、実世界のことは、わたしも知らない。しかし、村上「作品」中の主人公がもてる理由ははっきりしている。

 本を読んでいるからだ。

 主人公はいつでも、よく本を読む。大ベストセラーになった『ノルウェイの森』の主人公・大学生のワタナベトオルも、いつも、どこでも、本を読んでいる。

 こんなシーンがあった。恋人が精神を病んで山奥の療養所に引っ込む。半ばやけになり、都会で乱倫な生活を続けるワタナベは、ある日の夜遊び帰り、明け方の喫茶店で始発電車を待っていた。そこで、見知らぬ女性客2人に声をかけられる。そして結局、寝る。

 なぜ女性はワタナベに声をかけたか。喫茶店で、トーマス・マン『魔の山』を読んでいたから、というのがわたしの考えだ。あまり魅力的とは思えない主人公が、本だけはよく読む。深夜の酔客をため込んでおくような、酒と煙草の臭いに体臭の入りまじった喫茶店で、大部な書物を読んでいる。そういう客はいない。それは目立ったことだろう。