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いつでも文章の話か、読書の話をしていた

 最初は地元民放カメラマンが、一心に読んでいるわたしの姿に驚き、さりとて話しかけるのもおそろしい、会見を撮影するふりして、手元の本をズームアップしてのぞき込んだそうだ。そのときは、デリダ『グラマトロジーについて』を読んでいたようだ。

 そんなことから若い記者の間でうわさが広まり、最初はこわごわ1人が声をかけてきて、めしを食いにいった。1人また1人と近づいてきて、最後は常時5人ほどがわが家でとぐろを巻くようになっていた。べつに群れているのではない。他社の人間だ。群れる理由がない。そうではなく、いつでも文章の話か、勉強、つまり読書の話をしていた。何を読むのか。なぜ読むのか。わたしが「何者」なのか。なぜ、いい大人にもなって、小難しい本など読んでいるのか。

本読みは必ずしも愛されることを必要としないが、愛することができる

 本読みは、人を安心させる。

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 本を読む人間は、あたりまえだが、識字能力がある。ましてや大部の本を読むような人間には、忍耐力があるはずだ。集中力がある。想像力があって、共感する力もある。べつにわたしはネットを否定しているわけではない。たしかに便利だし、わたしも仕事で毎日使っている。ありがとうございます。

 ただ、想像してみてほしい。寸暇を惜しんで、ところかまわず、会見場でも、電車待ちのホームでも、地下鉄の座席でも、どうかすると彼氏/彼女と会っていてさえも、いつでもスマホ画面をのぞき込んで、ネットニュースなのかツイッターやインスタグラムなのか、なにかを読んでいる人は、人を安心させるだろうか。忍耐力がある、集中力がある、想像力があって他者に共感する力のある人だと、そう思って心を許すだろうか。

 本を読むとは忍耐力のあることだと書いた。もっといえば、本を読むとは、孤独に耐えられるということも意味する。世界で1人きりになっても、本の世界に遊ぶことができる。

 それはつまり、人を愛せる、ということだ。

 いつでも他者を必要とする人は、弱い。常に他者からの承認を求める人生は、苦しいものとなるだろう。愛されることを渇望する人は、孤独の重さに耐えられない。

 ひるがえって、本があればなんとか生きられる人は、必ずしも愛されることを必要としない。ただ人を愛することができるのみだ。

 そして、逆説めくが、人を愛せる人が、人から愛される人だ。人から愛されるには、まず自分から愛さなければならない。