昨今、子育てや教育現場で話題となる「体験格差」。

 教育ジャーナリストのおおたとしまささんと、不登校支援の先駆者で、「川崎市子ども夢パーク」内にある「フリースペースえん」総合アドバイザーの西野博之さんが、体験格差という言葉が生まれる社会への違和感を語った。

*新刊『子どもの体験 学びと格差』(文春新書)で実現した対談を、書籍非掲載部分も含めて再構成してお届けします。

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西野 川崎市子ども夢パーク(以下、夢パーク)で「こどもゆめ横丁」というイベントをやっていて、子どもたちが廃材を使ってお店を建設してそこでものを売るんだけど、そこに大人が入ってきちゃうと「もっと商品をつくらなきゃ」とか「もっと値段を上げなきゃ」とか口出しして、子どもたちもだんだん大人の価値観に毒されていきます。

おおた 具体的にどんな問題が生じたのでしょうか?

西野 金額の上限をなしにしたら、やきそば300円、フランクフルト300円というお店が出たのね。フランクフルト300円って、大人向けの縁日とか、大学祭の値段じゃん、みたいな。一本50~60円で買ってきたフランクフルトを300円で売って、250円の儲けが出て、それが自分たちのしあわせだみたいな価値観になっていくのはなんか違うと思いません? たとえば商品を10個しか用意していなくてほとんど儲けが出なかったとしても、子どもたちは「俺たちの店がいちばん先に売り切れた! 最高じゃん!」とか言ってしあわせな気分でいたりするわけ。大切なのは、あるものを工夫して使って、分かち合って、「楽しかったね」「しあわせだね」と思える子どもをどう育てるかなんですよ。

おおた 資本主義社会の企業で大きな利益を上げたらほめられるわけですよね。それが「正解」だと思っている大人は「子どもに判断させると間違えるから」と言います。でもその「間違える」とは、経済合理性に照らし合わせたときに合理的ではないというだけです。

西野 諸悪の根源はそこにありますよね。失敗しながら、回り道もしながら気づく喜びが無視されてる。現実社会に染まりきってしまった大人の損得感情を基準にして、「こっちのほうが効率が良くて得だよ」みたいなアドバイスは、「効率よくゴールに達しなさい」というメッセージになります。そのゴールだって、大人が設定したゴールだからね。

手作り感あふれる「川崎市子ども夢パーク」のゲート ©おおたとしまさ

おおた 「でも現実社会は競争じゃないですか?」という反論があります。

西野 でも、しあわせは自分で決めることでしょう? 競争社会で価値があるものを追い求めることと、しあわせな人生をおくれているかはまったく別物なのに、それらが混同されているんでしょうね。子どもは「いまを生きる生き物」だということがものすごく伝わりにくいんです。

おおた むしろ、子どもは将来のことを考えられないから、代わりに大人が子どもの将来のことを考えてあげて、いまやるべきことを決めてあげるのがいいことだと思っている大人は案外多いと思います。そうじゃなくて、子どもは将来のことなんて考えないで全力でいまを生きることでしあわせを感じて、その積み重ねで生きていく喜びを心の奥底に確固たるものとして根付かせるんだという意味ですよね。