大切なのは「しあわせ」と感じられる原体験を持つこと
西野 将来損するかもしれないと思って悩み始めても誰もしあわせになりません。問題が起きてから具体的に悩めばいいんです。子どもの将来を勝手に心配してあれこれしてしまう大人は、子どもを権利主体だと思えていないのでしょうね。「私が、私を軸にしてやってみたいと思うことを、私の思いで、私の発想で、私がやりたいようにやらせてよ」というのが、いま、子どもたちの叫びだと思っています。それが本当にやれたときに、子どもは自分で尻を拭くからね。「私が決めたことによって私が悲しんだとしてもそれは私の問題でしょ」と言える社会にしていかないと。「体験格差の是正のためにこんな体験やこんな体験ができるようにすべきだ」と一律にやっていくと、きっと子どもが疲弊していきます。
おおた 「これがスタンダードな体験だ」みたいなものがつくられてしまったら、まず大人がそれに振り回されるし、最終的にやるかやらないかは子ども本人が決めるとしても、“スタンダード”を拒否すること自体にものすごくエネルギーが削られると思います。不登校を選ぶのにものすごくエネルギーが必要なのと同じように。
西野 僕は昭和35年に浅草の長屋で生まれました。ごはんが傷んでねばねばしてしまったとき、母が「博之、持っておいで。洗ってあげるから」って言って、本当に水で洗って、「いちばんおいしいおじやをつくってあげるよ」ってつくってくれた。本当においしかった。お母さんが思いを込めてつくってくれたものがまずいわけがないと思ったし、そこにしあわせがあったの。パッケージ化された、愛情のふりをした、大人の大きなお世話とは違う。大きなお世話は子どもにもわかるから、子どもはどこかでしらけてる。
おおた 西野さんにそういうしあわせの原体験がものすごく強く刻まれているからこそ、競争社会の原理にからめ取られないで生きてこられたんだろうなと思います。
西野 そうだよね。
おおた かたや、競争社会の原理にからめ取られた親に脅されて、小さいときから武器としての各種能力を手に入れることに躍起になってしまったら、一生競争からは降りられなくなるわけじゃないですか。いつか負けるんじゃないかってことがずーっと恐いってことですよね。“いい学校”を出ているひとにもそういうひとはたくさんいますからね。
西野 僕は「しあわせ」という言葉から、ステテコと白いシャツを着た父親と手をつないで、上野の陸橋の上から行き交う電車を眺めている場面を思い出します。そういう原体験を大事にすればいい。お金がないと十分な体験をさせてあげられなくて不幸だと思う親が増えると、不幸な子どもをつくり続けることになってしまいます。
おおた たとえばキャンプに行ったことがないというお友だちがクラスにいたら、「じゃあ、うちのキャンプにいっしょにおいで」って誘ってあげればいいことじゃないですか。そこで格差なんて意識したら、格差の上の子が下の子を誘う形になってしまいます。対等な友達なのに。ましてや非認知能力なんてどうでもいい。
西野 僕らも点数教育みたいなものに対抗するために、認知能力じゃなくて非認知能力が大事なんだって、だから遊びが大事なんだって言うけれど、あくまでも子ども自身が権利主体であることを忘れないようにしないとね。
