いよいよ、大阪・関西万博がはじまったらしい。東京にいるとあまり実感することはないのだが、大阪ではそれなりに盛り上がっているのだろう。そして、まあ予想通りと言うべきか、あれやこれやと問題も指摘されている。そのひとつが、交通だ。
なんでも、万博会場に直結する地下鉄中央線の夢洲駅はあまりにお客が集中してしまって入場規制するほどの混雑ぶりだったとか。帰ろうとしたのに駅に入ることもできずに数時間も待たされたら文句のひとつも言いたくなるものだ。
が、そもそも万博と交通難は切っても切れないニコイチのような関係だ。
2005年の愛知万博はリニモというおよそ輸送力充分とはいえない新しい交通機関があるだけだったし、1985年のつくば万博は会場に直結する鉄道すら存在しなかった。
常磐線に「万博中央駅」という臨時駅(現在はひたち野うしく駅になっている)が設けられ、そこからバスで会場に向かうのがメインルート。そんなことを思えば、地下鉄中央線が会場の目の前まで乗り入れているだけでも感謝しなければなるまい。
さて、ここで半世紀と少し前、1970年の大阪万博である。岡本太郎先生の「太陽の塔」でおなじみのあの万博、半年ほどの開催でなんと約6400万人も来場したという。
まだ大阪モノレールのない時代、アクセスの主役を担ったのは地下鉄御堂筋線とそこから延伸した形の北大阪急行だった。なんでも、来場者の約3割を運んだという。そして、御堂筋線・北大阪急行とともに活躍したのが阪急千里線だ。
阪急線“ナゾの終着駅”「北千里」には何がある?
千里線は南千里~北千里間(現在の山田駅付近)に臨時の万国博西口駅を設置して、梅田からはもちろん宝塚・三宮方面からの直通列車も走らせて約900万人を運んでいる。
北大阪急行の陰に隠れる形ではあるものの、阪急千里線も大阪万博成功の立役者といっていい。
そんな千里線、もちろんいまでも現役バリバリだ。梅田からの直通列車はほぼ1日を通じて1時間に3本のペースで走り、加えて地下鉄堺筋線天下茶屋駅から直通する列車も加わる。
地味ながら、北摂の千里ニュータウンと大阪の中心部を直結するルートとして活躍している。今回は、そんな千里線の終点、北千里駅にやってきたのである。