切っても切れない関係…「北千里」が歩んだ「大阪万博」以後の50年
そして、北千里駅から東側に広がる大阪大学吹田キャンパスの南には万博記念公園が広がっている。いうまでもなく、1970年の大阪万博の会場だ。
藤白台をはじめとする北千里周辺の開発と駅の開業が1960年代半ばのこと。その最中の1965年には万博の開催が決定し、翌1966年には昭和天皇と香淳皇后が視察に訪れている。
現在の南千里駅周辺の南地区センターを視察後、車に乗って藤白台や古江台なども回っている。そして、千里中央公園に設けられた展望台に登り、新生間もないニュータウンとまだ工事の始まっていない万博の会場予定地を眺めたという。
1970年に開催された大阪万博と、その直前に開発された千里ニュータウンは、まさに当時にあっては夢そのものだったのだろう。
少し頑張れば手が届く現実的な夢としてのニュータウン、そしてそれよりはもっと遠いけれども人類の可能性を感じさせてくれる夢としての万国博覧会。開業当時の北千里駅は、当時の人々の抱いた夢のるつぼの中心にあった駅といっていい。
そんな夢の時代から50年以上の歳月を経て、ニュータウンは高齢化や人口減少に悩んだ時代も経験した。が、最近では地域の人々の試行錯誤もあって持ち直してきているという。いずれにしても、およそ平坦とは言えないような歴史が北千里駅前の風景に凝縮されている。
そして、埋立地・夢洲で開催されている令和の万博。閉会後にはカジノになるだのなんだのと喧しい。果たして、半世紀後の夢洲はどうなっているのだろうか。昭和の万博会場に近いニュータウンを歩くと、どうしてもそういうことを考えてしまうのである。
写真=鼠入昌史
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