梅田からは30分ほど。淡路駅を過ぎると町並みにも変化が…

 梅田駅から北千里駅までは、各駅停車でざっと30分。もともと梅田が大阪のキタにあるのだから、北摂のニュータウンへの距離も短い。

 淡路駅で阪急京都線から分かれ、ほどなくニュータウンゾーンへ。途中の千里山駅は、1963年に新千里山(現・南千里)駅に延伸するまでの終着駅だった。

 阪急千里線は大正時代に北大阪電気鉄道によって建設されたのがはじまりだ。同時期に千里山駅の西側に当時のニュータウン、千里山住宅地が開発されている。

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 千里丘陵における宅地開発の先駆けといったところだろうか。その後の延伸は戦後になってからで、それこそ千里ニュータウンの計画と共に延伸が進められている。

 千里丘陵一帯に広がる千里ニュータウンは1958年に建設が決定、1960年には計画のマスタープランも策定された。

 このとき、中心的な交通機関として白羽の矢が立ったのが阪急千里線だったのだ。1963年には新千里山(南千里)、次いで1967年に北千里まで延伸して現在の形が完成している。

 

 そして、北千里駅の周辺では駅開業に先立ってニュータウンの入居が始まっている。最初は藤白台と古江台、続けて青山台。

 こうしてこれらのニュータウンの玄関口として北千里駅が開業し、半世紀以上が経った今でも本質的な役割は変わっていない。

高架のホームから階下の改札を抜けると…

 高架の北千里駅ホームから階段を下って階下の改札を抜けると、駅の西側の広場に出る。広場を囲んでいるのは正面のイオンを核としたディオス北千里という商業施設だ。

 

 千里中央駅におけるセルシー、またせんちゅうパルのようなものなのだろう。ただこちらは比較的新しく、1994年にオープンしている。

 それでも専門店街になっている南側のエリアはどことなくうらぶれている雰囲気だ。空きテナントも目立ち、30年来の年季がむんむんと漂う。

 

 ただし、これはただ寂れているというわけではないようで、再開発の計画があるらしい。吹田市が中心になって進めているプロジェクトで、数年中に着工。2037年度ぐらいには商業ビルと大型マンションに生まれ変わるという。

 
 

 そして、そんな再開発を待つディオス北千里の他はもうまったくのニュータウン、住宅地だ。駅の北西が青山台、南西が古江台、そして東側には藤白台。

 どこも巨大な集合住宅が駅の近くにどーんと建ち聳え、その周囲には実に昔ながらの団地らしい建物群が広がっている。