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 少しもへこたれない。へこたれる理由がない。翌日もふつうに学校に行き、ふつうに無視され、ふつうに帰ってきて、飽きもせず、ドーナツ盤を聴き、本を読んだ。

 いじめているのに、いじめを気づかない。これでは相手も張り合いがない。あまり覚えていないが、数カ月で無視は終わった。手打ちもなにもない。なにごともなかったように、日常に戻った。しかし、もうみんなと草野球はしなかった。かわりに、1人で走るようになっていた。

 世間に、愛想が尽きたんだろう。

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孤独のレッスン

 エーリッヒ・フロムはドイツ生まれのユダヤ人で、第二次大戦前にナチスの迫害を逃れてアメリカに渡った。いわば、生まれた故国から、国をあげての「いじめ」にあった。アメリカに亡命して多くの著作を残し、中にはベストセラーになったものもある。

実際、集中できるということは、ひとりきりでいられるということであり、ひとりでいられるようになることは、人を愛せるようになるための必須条件のひとつである。もし自分の足で立てないという理由で他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、ふたりの関係は愛の関係ではない。逆説的ではあるが、ひとりでいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。

フロム『愛するということ』

 ひとりきりでいられるということ、孤独に耐えられるということ。それは、強くなることである。人は、強くなければ人を愛せない。人を愛せなければ、生きている資格がない。

 ある特定の人から、愛されたい。世間からも、愛されたい。だれもがそう望む。しかし、多くの場合、思い通りにはいかない。自分の愛する人が、自分を愛してくれない。つらいことである。身にしみてよく分かる。しかし、人の気持ちは動かせないのだ。

 自分の選択で、いまの時代に、この国に、生まれたわけではない。この親から生まれたかったわけでもないし、こんな容姿にしてほしかったのでもない。親ガチャ。国ガチャ。

 しかし、そうした偶然を受け入れる。運命を甘受する。

 強い人とは、与える人のことだ。報いられることを求めない人のことだ。迫害されても、自分の人生を愛する。そのためには、ひとりきりでいることに慣れる。

 孤立を求めず、孤独を恐れず。

 本を読む。その、もっともすぐれた徳は、孤独でいることに耐性ができることだ。読書は、1人でするものだから。ひとりでいられる能力。人を求めない強さ。世界でもっとも難しい〈強さ〉を手に入れる。

 読書とは、人を愛するレッスンだ。(#2に続く)