検閲官と聞いてどんなイメージを抱くだろうか。
有無を言わさず、上意下達で作家を抑圧する恐るべき国家の番犬? それとも、規則ばかり振りかざし、文化の発展などまったく顧みない無学で冷血な小役人?
三谷幸喜作の「笑の大学」を観劇したひとなら、劇作家とコミュニケーションを取りながら、なんとか公開できるように台本を修正していく、あの奇妙でどこか人間的な検閲官を連想するかもしれない。
最後のは創作だと言うなかれ。最近では、この奇妙な検閲官像こそがかえって実態に近かったのではないかと言われているのだから。
一方的な弾圧ではなく、交渉・調整・妥協を積み重ねて落としどころを探っていく。この現実的な仕事に対処するため、検閲官には文学などに素養のある高学歴者も少なくなかった。
以上は戦前日本の話だが、では海外の検閲はどうだったのか。その問いに応えてくれるのが本書である。
著者は、革命前のブルボン朝フランス、英領インド帝国、東ドイツという3つの権威主義体制を取り上げながら、「創造と抑圧の戦い」という二元論的な検閲神話を解体していく。
そこで強調されるのは、やはり作家と検閲官はかならずしも対立しておらず、むしろ多くのばあい協力関係にあったということだ。
王政フランスでは、作家は積極的に自作を検閲官のもとに持ち込んだ。表現の自由という考えが定着していなかった当時、検閲の通過は公的なお墨付きを意味していたからである。検閲官もその意向を汲んで、間違いを訂正するなど編集者や校閲者の役割を果たした。
もちろん、有力者への攻撃や異端の宣伝を見逃してしまってはいけない。そのため検閲官は、学識があって貴族社会の内情にも通じた学者や文人などが副業として務めていた。
そう、検閲官はけっして無学でも小吏でもなかった。英領インドでは、イギリス人は高度な言語能力を身につけていた。現地語で出された文献を読み通し、暗喩的な批判を見抜き、違法な意図はなかったと弁解するインド人を論破する必要があったからだ。
より現在に近い東独では、検閲の流れはより体系的になり、いくつもの審査を経なければならなかった。作家は検閲官と関わるうちに、自作をスムーズに出すため、日常的に自主規制をするようになった。それはまさに奇妙な共犯関係だった。
厚めの本ながら、著者が豊富な例を物語のように紹介してくれるので、馴染みのない地域や時代のことでもすぐ頭に入ってくる。専門の細分化が著しい今日、あえて国を跨いで検閲の実態を解明しようとした著者の試みにも称賛を送りたい。
気になる章から入り、作家と検閲官の関係をドラマの一幕のように読むのでもいい。そこで立ちあらわれるのは、血の通った、人間臭い検閲官たちの姿である。
Robert Darnton/1939年ニューヨーク生まれ。専門は書物の歴史、近代フランス史。プリンストン大学教授、ハーバード大学教授、ハーバード大学図書館長を務め現・名誉教授。『禁じられたベストセラー――革命前のフランス人は何を読んでいたか』で全米批評家協会賞受賞。
つじたまさのり/1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。著書に『超空気支配社会』『防衛省の研究』『「戦前」の正体』等。