本来、「忖度」とは権力者や上司にだけするものではない

 森友学園をめぐる疑惑に関連して、「忖度」という言葉ににわかに注目が集まっている。

『日本国語大辞典』によれば、その意味は「他人の心中やその考えなどを推しはかること」だという。ただ、最近使われている「忖度」は、ただの「他人」ではなく、「権力者」「当局」「上司」などの「心中やその考えなどを推しはかる」との意味合いを持っている。

 そのため、当然ながら、現在の政治家、官僚、メディア、企業人は「忖度しました」「忖度させました」などとおいそれとは告白しない。そこで、歴史にさかのぼって忖度の例を探ってみたい。

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陸軍幕僚が回想する忖度

 太平洋戦争中に、大本営陸軍報道部で雑誌の検閲を担当していた平櫛孝という中堅幕僚がいる。かれによれば、検閲の仕事は、雑誌社の忖度のおかげで、驚くほどに簡単だったという。

「各社のベテランは、軍の考えていること、軍の望むところ、はては報道部の嗜好まで先刻承知していて、その献立に異議をさしはさむ余地はなかった。たまに企画をひっさげて相談に来る出版社もあるにはあったが、その献立たるや、立派すぎるくらい立派であって、必ずといってよいくらいに陸軍大臣や報道部長の序文をとか、全国の在郷軍人会に販売したいから貴殿の添書をというデザートつきであった。今にして思うと、こういうのを自己検閲、あるいは御用新聞、御用雑誌というのであろう」(『大本営報道部』)

 そして平櫛はその理由をこう推測する。

「どうしてこうも円滑に、ことが運ぶのかと考えたが、それは、雑誌担当の私が、内閣用紙統制委員という宝刀を持っていたためであったのではなかろうか。当時の出版社にとって、用紙の割当ては、何ものにもかえがたい糧道である。食糧倉庫の鍵を握っている倉庫番にはさからうものではない、と教えこまれていたに違いない」(同上)

太平洋戦争中の雑誌広告(昭和17年12月、朝日新聞より)

 当時、新聞や雑誌の用紙は、内閣(新聞雑誌)用紙統制委員会によって管理・統制されていた。そのため、その委員の逆鱗に触れると、用紙が止められ、廃業に追い込まれるかもしれない。

 そこで出版社は、軍部の意向を忖度して、かれらが喜ぶような企画を進んで持ち込んだ。その結果、軍部の担当者は、いちいち指図したり、出版差し止めにしたりする手間が省けたというのである。