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レコード検閲官による忖度活用術

 こうした忖度は、少数精鋭の官僚機構にとって欠かせないものだった。

 官僚制は、文書主義、手続き主義が原則である。しかし、それではその都度書類を作り、決裁を取り、関係者を呼び出し……とたいへん面倒で手間がかかる。優秀な官僚であればあるほど、あらかじめ関係先と調整を済ませておき、正式な手続きを最小限にとどめようとする。

 いちいち手続きを踏み、書類を行ったり来たりさせるものは「バカ正直」「のろま」なのであって、うまく立ち回るものこそ「よく気が回る」「仕事ができる」と評価されるのである。

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 したがって、官僚制は上の立場のものには忖度し、下の立場のものには忖度させようとする。

内務省 ©共同通信社

 戦前の検閲はその最たるものだった。日々発行される厖大な数の新聞、雑誌、書籍、レコードなどを少数の検閲官で完全にチェックできるわけがない。そのため、検閲官は様々なルートを使って、事前にすり合わせを行い、意向をほのめかし、ときに脅し、ときに宥め、出版社や雑誌社をコントロールしようとした。

 内務省警保局でレコード検閲を担当していた小川近五郎は、1936年『警察研究』にこう書いている。

「一方に於て悪質なるレコードの簇出を放任しながら、他方に於てこれが取締りに忙殺さるるの煩いを避けんが為、もっぱら業者を誘掖輔導することによりて、取締りの実効を期そうとしている」

「今回の取締り以後、特に業者が発行に先立って巨細に拘らず当局の意嚮を確かめんとする態度について見るも、業者の協調的善意は無視しえない」(「最近話題を生じた流行歌レコードと取締の問題」。一部仮名遣いなどを改めた)

レコード検閲係 小川近五郎を紹介する読売新聞記事

 業者は「当局の意嚮(意向)を確かめ」、当局は業者を「誘掖輔導」する。実際に発禁処分などするまでもない。まさに効率的な忖度の活用だ。

 こうして戦前・戦中の官僚は、たいへん効率的に業務を進めたのである。

官僚の忖度防止には公文書管理の徹底を

 帝国日本は敗戦で崩壊した。そのため、軍人ふくめ官僚たちの口は比較的軽く、内部文書も手に入りやすい。忖度に関する回想や記録も少なくない。

 これに対し、現役の組織の場合そうはいかない。関係者の口は固く、文書も簡単に出てこない。そのなかでへたに忖度というと、陰謀論や誹謗中傷に陥ってしまう。

 もちろん、忖度はなにもかも悪いわけではなく、効率的な業務に資する面もある。ただ、場合によっては、便宜供与や腐敗などの温床にもなりかねない。忖度の暴走・悪用は防がなければならない。

 では、どうするべきなのか。

 忖度の背景には、許認可権の存在があるが、これを官僚制から完全に剥奪することは難しい。そこで、文書の保存と公開を徹底することが考えられる。

 すでに「公文書管理法」が存在するが、さらに公文書の保存対象の範囲を広げ、遅くとも数十年後にはそれを原則公開するとともに、インターネットなどでもアクセスできるように工夫して、職務遂行の過程を容易にたどれるようにしておく。そうすることで、官僚に「あとで不正だと追及され、責任が問われるかもしれない。やりすぎないようにしよう」と思わせて、過剰な忖度を自制させるのである。

森友問題に関して国会答弁する財務省の佐川宣寿理財局長 ©時事通信社

 この点で、現在の日本にはまだまだ課題が多い。

 昨今、南スーダンPKO派遣部隊の日報をめぐって、廃棄しただの、保管していただの、意図的に隠蔽しただの、混乱がつづいている。

 これは文書管理以前のレベルであり、たいへん由々しい問題だ。森友疑惑の陰に隠れてあまり注目されていないが、まさにこうした問題に適切に対処することこそ、森友疑惑のような事態を防ぐのである。

 忖度は、もしかすると一過性の流行語に終わるかもしれない。ただ、それはあまりに惜しい。これを奇貨として、一見地味ながら、じつは重要な、文書管理の問題にも焦点を当てるべきだ。

 食傷気味になりつつある森友疑惑も、そうすることでまだ使い道もあろうというものである。