『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』(辻田真佐憲 著)講談社現代新書

 昨年末、タレントのタモリが2023年について「新しい戦前」になるのではと発言して議論を呼んだ。将来の日本は「戦前」のように戦争をする国になるのではという不安を覚えた人が多かったのだろう。

 では「戦前」の日本はなぜ戦争を繰り返す国だったのか。本書はそのからくりを「日本神話」に注目して解き明かそうとしたものである。

 明治維新で幕府を打倒した薩長勢力は人びとを「国民」として統合していくための物語として神話を利用した。この物語の骨子は、むかし森喜朗・元首相がいみじくも述べたように日本は「天皇を中心とした神の国」であり、人びとは神話の時代から天皇とその祖先、そして自らの祖先を敬いながら生きてきた、だから日本国民も同じようにいざとなれば天皇のため命を投げ出し、国に尽くさねばならない、というものだ。

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 本書は、こうした神話に基づいて作られた国家の興亡こそが「戦前」の正体であると喝破する。その白眉は、著者が自ら行った、神話に関する記念碑のフィールドワークである。

 たとえば宮崎市に今も立っている「平和の塔」は戦前は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」といい、日中戦争下の1940(昭和15)年に当時の日本の勢力圏から送られた石材で造られたもので、その中には南京など中国の戦地のものも含まれる。この年は神武天皇が即位してからちょうど2600年にあたるとされた。塔は大日本帝国の悠久の歴史や勢威をわかりやすく誇示し、仰ぎ見る人びとを鼓舞する役割を果たした。

 こうした数々の記念碑や神話を讃える歌の流布などを通じて、明治の当初は「ネタ」(虚構)であったはずの神話の物語はやがて「ベタ」(真実)と化し、多数の人びとを昭和の戦場に駆り立てていった。本書はそのありさまを明快に描き出している。巻末の参考文献一覧は、この分野に関心を持つ読者にとって、格好の読書案内となっている。

 ところで、本書を読んでいくと「戦前」をそれぞれ都合よく解釈して激しく対立する「右派」と「左派」のはざまで中庸を説くというスタンスが一貫して強調されている。こうしたきわめてSNS的な図式になじみのない読者はややとまどうのではないかとも思ったが、売れ行きが好調と聞いているので、それは杞憂だったのだろう。言論人がそれぞれの持つ「戦前」像を語ることには、いぜん重要な意義があると再認識させられた。

 著者は日本国民がこれからも国民としてまとまり、国としての一体性を保っていくためには、「戦前」の神話にかわる新たな物語の創出が必要だと訴える。それがどのようなものであるのか、ひごろ細かい話ばかりしている「専門家」のはしくれである評者にはわからないが、著者の今後の仕事に注目していきたい。

つじたまさのり/1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。著書に『防衛省の研究』『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』『大本営発表』『たのしいプロパガンダ』『日本の軍歌』、共編著に『文藝春秋が見た戦争と日本人』などがある。
 

いちのせとしや/1971年、福岡県生まれ。埼玉大学教養学部教授。専門は日本近現代史。著書に『昭和戦争史講義』『東條英機』など。