「性の自由」、とくに「トランスジェンダー」(「生物学的性」と「性自認」が一致しない人々)への理解を求める動きが広がっている。
昨年6月には「LGBT理解増進法」が施行され、7月には、「女性用トイレの使用を制限されているのは不当だ」と経済産業省のトランスジェンダーの職員が国を訴えた裁判で、「トイレの使用制限を認めた国の対応は違法だ」とする最高裁判決が下された。10月には、「戸籍上の性別変更」に「生殖能力を失わせる手術」を必要とする要件は「違憲」だ、とする最高裁の判断も下されている。
入試願書、履歴書、問診票などから「性別欄」をなくす動きも広がっている。アメリカでは、パスポートに「M(男)」と「F(女)」以外の選択肢として「X(不特定)」欄が設けられた。
最も“先進的”な例としては、スコットランド政府が「新しい性的マイノリティの包括的ガイドライン」で「4歳の子供でも保護者の同意なしに学校で名前と性別を変更できる」としている。
他方で混乱も生じている。
「ジェンダーレストイレ」や「誰でもトイレ」の設置が広がっているが、女性専用ではないことに女性から不安の声も上がる。スポーツ界では、男性から女性に性転換した「トランス女性」のアスリートの出場を制限する動きが強まっている。
昨年12月には、KADOKAWAから出版予定だった翻訳書『あの子もトランスジェンダーになった――SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』が、SNS上での批判や「トランスジェンダー差別助長につながる書籍刊行に関しての意見書」の提出などを受けて、刊行中止となった。
混乱するばかりの「ジェンダー」をめぐる議論――こうした問題に取り組むには、「そもそも『性』とは何か」から考える必要がある、と一石を投じるのが、進化生物学者の長谷川眞理子氏(前総合研究大学院大学学長)だ。
「性差別」は撲滅すべきだが「性差」は存在する
〈この数十年で、「性」をめぐる社会環境は大きく変わりました。女性差別は、無意識のうちには残っていても、あからさまな差別は許されなくなりました。同性愛、同性婚、体と心の性の不一致といった問題も取り上げられ、LGBTQという名称で、そのような人々の権利も表立って論じられるようになったのは、社会として「大きな進歩」でしょう〉
〈ただし一部では、「男女に本質的違いはない」「男女の違いはすべて社会的につくられたもの」という主張までなされています。生物学者として、こうした主張には賛同できません〉