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 フェミニズムやトランスジェンダーへの理解を求める議論は、「そもそも性差など存在しない」という結論に至りがちだ。しかし長谷川氏は、「性差別」は撲滅すべきだが「性差」は存在する、とこの点に異を唱える。

 なぜ「性」は存在するのか

 そもそもなぜ「性」は存在するのか。

〈多くの人は、「繁殖のため」と思われるでしょう。しかし「性」を介在させずに「繁殖」する生物も数多くいます(無性生殖)。この一事をもってしても、「性の本質は繁殖にある」とは言えません〉

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〈有性生殖から「繁殖」という要素を差し引くと、オスとメスの「遺伝物質の交換」という要素が残ります。(略)「性」の本質は、この「遺伝子の組み換え」にあると考えられています〉

〈ではなぜ「遺伝子の組み換え」を行なうのか。「子供に多様性をもたせる」ことで、環境の変化、とくにウイルスや細菌などの寄生者に対する防御機能を高めるためです〉

 性は「二つ」しかない

「性」に「オス(男)」と「メス(女)」の二つしかないことには、原理的な理由がある、と長谷川氏は指摘する。

〈「性」は、約15億年前に無性生殖生物の「配偶子」が「精子」と「卵子」に分化することで生まれました。では「精子」と「卵子」とは何か。その違いはどこにあるのか〉

〈「精子」と「卵子」の違いは「大きさの違い」にあります。大きさが違うのは、配偶子がもつ「栄養の量」が違うからです。(略)「大きくて動かない」のが「卵子」で、「小さくて動き回る」のが「精子」です〉

〈「精子」と「卵子」は、(1)よく動くこと(受精)と(2)生き残ること(受精卵の生存)という二つの異なる「淘汰圧」が同時に働いた結果、生まれたのです〉

〈ここで重要なのは、「分断淘汰」によって、配偶子は「二つ」(精子と卵子)にしか分化しえなかったことです。これが「性」は「二つ」しかない理由です。原理的に、「第三の性」や「第四の性」は存在しないのです〉

〈LGBTQをめぐる議論で、「性は曖昧で連続性がある」と主張されますが、「性差」の大元である「配偶子」の次元では、「大きな卵」か「小さな精子」のどちらかしか存在しないのです。ここに「曖昧さ」や「連続性」や「中間系」は存在しません〉

ヒトの「性」は「入れ子構造」になっている

 では「トランスジェンダー」は存在しないのか。そうではないと長谷川氏は言う。

〈ただし注意が必要なのは、「精子」と「卵子」ができることと、一つの「個体」が全体として、「オス」(精子をつくることに専念する個体)になるか、「メス」(卵子をつくることに専念する個体)になるかは、別次元の問題であることです。

 この次元では、「曖昧さ」や「連続性」や「中間系」があり得ます。たとえばイソギンチャクには「雌雄同体」の個体がいて、生物の世界には「性転換」という現象も見られます〉

〈さらにヒトには、他の生物にはない「自意識」や「自己認知」の次元も存在します。それに加えて、「他人にどう見られるか」「社会にどう見られるか」という「文化」の次元まで存在します〉

〈ヒトの「性」は、このように何層にもわたる「入れ子構造」になっている――これこそが、ヒトの「性」を論じる際の最も大事なポイントです〉

〈「性自認」や「性的指向」は、「生物学」の次元でも多様性があり得るとともに、「自意識」や「文化」の次元でも多様性が存在します。その意味で、LGBTQは「異常なこと」ではありません。大多数にはならずとも、「必ず生じる少数派」なのです〉

LGBTQをテーマにしたパレード ©時事通信社

「性自認」≠「性は選ぶもの」

 その上で、長谷川氏はこうも指摘する。

〈以前と比べて、「体と心の性の不一致」や「性自認(自分の性別を自分でどう認識しているか)」の問題が社会的に認知されるようになり、多くの人が救われたと思います。

 ただし強調したいのは、だからと言って「性は個人が完全に意識的に選択(チョイス)するものだ」と誤解してはならないことです。「性自認」は、「体と心の性の不一致」という「自分が選んだわけではない与えられた苦しい状態」を解消するためのもので、たとえばレストランのメニューのように「初めから自由に選ぶこと」ではありません〉

 長谷川氏が、この他、「オスの戦略とメスの戦略の違い」「女性単独の子育てが不可能な理由」「なぜ男は権力を求めるのか」などを解き明かす「『性』は選ぶものではない」は、「文藝春秋」2024年3月号(2月9日発売)、および「文藝春秋 電子版」(2月9日公開)に掲載されている。

文藝春秋

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「性」は選ぶものではない