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「母への理解が深まった」母子関係が変化した大きな転機とは

 その後、カウンセリングで自分の気持ちを吐き出しているうちに、とめどなく怒りが湧いてきてしまいました。それがおさまるのに10年くらいかかったでしょうか。今は、母との適切な距離の取り方がわかるようになりました。

 今思うと、本当に母がかわいそうだと思います。彼女だってしんどい生い立ちで、外国で命がけで産んだ娘になんとか良くしてあげたい一心だったのに、その娘から「孫を抱いてほしくない」と思われたなんて、本当に胸が痛みます。

――ご自身の中で、それまでにはなかった感情が生まれると同時に、次第にお母さんへの憐憫の思いが生まれたということですね。

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小島 そうですね。憐憫というよりも、最終的には、母という1人の人間に対する理解が深まったということでしょうか。そこに至るまでにはかなり時間がかかりました。

 

 出産・育児で「命をケアする」という経験をして、母との関係が母と娘から「誰かの親同士」という関係になったのが最初の大きな転機でした。「私はちゃんと育てているけど、あなたの子育てはどうだったわけ?」と、母の子育てを批判したくなって。

――視点が大きく変わったのですね。

小島 それまでは家族関係の悩みについて「私が悪いんだ」と思っていました。でも、批判的になって一気に「このしんどさは自分のせいじゃなくて、母の育て方のせいだったんじゃないか」と、母を責める方に振れてしまったんだと思います。

様々な要因が重なり、33歳のときに不安障害を発症

――小島さんは33歳のときに不安障害の診断をされたとのことですが、それが、2度目のカウンセリングを受けられた時期だったのでしょうか。

小島 はい。カウンセリングで、生まれ育った家族との関係の悩みの棚卸しをしている最中に2人目の子どもを産んで、このまま仕事に復帰してやっていけるだろうか、という不安が加わりました。

 

 産後のホルモンの変化や睡眠不足による体力の衰え、さらに当時夫との関係にも悩んでいたため、メンタルが限界に達したのでしょうね。精神疾患の1つである「不安障害」を発症しました。

撮影=深野未季/文藝春秋