元TBSアナウンサーで、現在はタレント・エッセイストとして活躍する小島慶子さん(51)。幼い頃から40代まで、家族、特に母親との関係に葛藤しながら過ごしたという。

「母の存在が重く、苦しかった」と話す小島さんは、いったいどのような幼少期を過ごし、家族や母親に対してどんな悩みを抱えていたのだろうか。ライターの吉川ばんび氏が、話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)

小島慶子さん ©深野未季/文藝春秋

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母の存在を「重い、苦しい」と感じていた子ども時代

――小島さんのお母さんはどのような人だったか教えてください。

小島慶子さん(以下、小島) 良くも悪くも、思い入れが強いタイプです。彼女自身があまり親の愛情に恵まれなかったこともあり、自分の理想の親子関係を作りたいという想いが強かったんだと思います。

 姉と私は9歳離れています。私は、母が「どうしても2人目の赤ちゃんが欲しい」と望んで生まれた子だそうです。1972年、父の仕事の都合でオーストラリアにいたときに。

 念願かなって妊娠して、高齢出産で輸血が必要なほどの難産だったこともあって、私への思い入れがかなり強かったようです。母自身が得られなかった理想の母子関係を実現したかったんじゃないかと。

――お母さんと小島さんの関係性はどうでしたか。

小島 子どもの頃は「母なしでは生きていけない」という母子密着状態でしたが、同時に母の存在を「重い、苦しい」と感じることもありました。

 当時の母のイメージは、赤黒い薔薇のような感じ。それがいつしか薄ピンクの薔薇のイメージに変わったんですけど、私が高校生ぐらいまでは、母はそんな強烈な存在でしたね。

 

――少し共依存的な関係だったのでしょうか。

小島 そうですね。母はよかれと思っていたのでしょうが、結果としては過干渉になってしまったし、私はそれが鬱陶しくて抵抗しながらも、母なしでは生きていられないし。私だけが母を幸せにしてあげられるのだと思い込んでいたので、共依存だったと思います。