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「私の手をギューッと強い力で…」当時の母子関係を象徴する出来事

――幼少期の頃、お母さんとのエピソードで何か印象に残っているものはありますか。

小島 よくあったことなんですけれど、おそらく私にADHD特性があったこともあり、公共交通機関で移動中に気に入らないことがあると、大きな声で母に抵抗したり、泣いたり、あるいはじっとできなかったりしたみたいなんです。具体的には覚えていないんですけど。

 そうすると母が、私の手をギューッと強い力で握るんですよね。無言で、潰れそうなくらい強く握ることがよくありました。

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 母は単に周囲の目を気にして、迷惑にならないように、無言で「静かにしなさいよ」と伝えたかったのだと思うんですけれど、私はそのギューッが嫌で嫌で。

 

――感情としては、恐怖に近いものでしょうか。

小島 怖いというよりは、苦しい、痛い、重い、という感じですかね。グーッとねじ伏せられている感じがあったので。当時の私にとっての母を象徴する仕草ですね。熱い手で、ギューッと。

小島さんが容姿にコンプレックスを抱くようになった理由

――小島さんは著書などで容姿のコンプレックスに苦しんだと書かれていましたが、何かきっかけがあったのでしょうか。

小島 そういうことに無頓着な時代だったんでしょうが、父も母も姉も、人の見た目についてあれこれ言うことが多かったんです。私の容姿についても、姉や他の子と比較されたり。嫌がらせではなく、日常会話だったんだと思います。でも私はそれをとても気にしてしまう子どもでした。

 もともと自意識過剰だったこともあって、容姿のことを言われるとさらに人目が気になって、気付いた時にはもう自分の顔が嫌いで、憎んでいたと言いますか。

 

 もともと母は目鼻立ちがはっきりしているほうで、昔の言葉で言うと「バタくさい」といわれる容貌です。母が子どもの頃は昭和10年代ですから、「あいのこ」と言われていじめられたそうです。ところが、大人になると今度は「美人ですね」と言われたり、映画会社の人に「女優を目指さないか」と言われたりしたらしく。

――周囲からの評価が変わったと言いますか。

小島 幼少期の傷ついた経験がベースにありながら、「もしかして自分は容姿が人よりも秀でているのではないか」と気づいたのかもしれませんね。きっと、周囲の目にすごく振り回されたのだと思います。

 母が社会に出てからは、大手企業の重役秘書の仕事に就いたのですが、もしかしたら当時は容姿が整っていることが採用に有利に働いたのかもしれません。その結果、母は貧困家庭出身でしたが、稼ぎのいいサラリーマンと結婚して人並みに豊かになれた。だから娘の容姿が気になったのかもしれないですね。当時の感覚では、無理もないのかもしれません。