なぜ姉は、あんなことを言ったのだろうと今でも不思議に思います。父は「慶子は全然顔が大きいなんてことはないよ」と慰めてくれました。どっちにしろ、顔貌が話題にのぼりがちな家庭ではありました。
バブル期の人気女性ファッション誌には、斎藤澪奈子さんという方のコラムが載っていて、ヨーロッパ上流社会のマナーなどを伝授していました。姉はそれを読んで、私にも例えば「ナイフとフォークを使うときは肘をカニみたいに上げてはいけません。脇に紙を挟んで、紙を落とさずに食べなさい」などと指南してくれました。おかげでマナーが身についたので、これには感謝しています。
小島さんがアナウンサーを目指した一番の動機とは?
――小島さんの中で、容姿へのコンプレックスはアナウンサーという職業を目指すひとつのきっかけになりしましたか。
小島 一番の動機は、経済的自立がしたかったから。私は家で母や姉からわりとよく叩かれていたので、それが普通だと思っていました。『サザエさん』や『ドラえもん』などで、家族が仲良くご飯を食べているのを見て、あんなのあり得ないと思っていました。私の家では食卓でも緊張感があって、ちょっとした一言で誰かが怒るのが日常だったので。
次第に「あれ、普通は叩かれないの? もしかして、うちってしんどいのかも」と気付くようになって。
――渦中にいるときはなかなか気付けないですよね。
小島 そうですね。だから、結婚相手に依存したり実家を当てにしたりせず、なおかつ父が与えてくれたくらいの生活レベルで生きていきたいと思いました。そのためには、自分も父と同じような一部上場企業の社員になるしかないなと。
実技と面接ならいけるんじゃないかと思いつき…
けれども私は中高大と一貫校育ちで、大学の勉強も真面目にしていなかったので、成績を重視する銀行や商社の総合職は無理だなと。
私が就活したのは男女雇用機会均等法の施行からまだ10年も経っていない頃でした。女性が男性と同じ正社員で働ける高待遇の仕事で、採用に成績は関係ないとなると、マスコミくらいしかなかったんです。
――とはいえ、マスコミも試験が難しくて倍率が高いと言われていますよね。
小島 出版社や新聞社は難しい筆記試験がありますが、アナウンサー試験は実技と面接重視で、難しい一般教養などの試験がなかったんです。
私は昔からおしゃべりだし、目立つ顔立ちのようだから、実技と面接ならいけるんじゃないかと思いつき、必死の思いで受けて、なんとか合格しました。
撮影=深野未季/文藝春秋