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 テタラは樺太方言の言い方で、実はレタㇻと同じ「白い」という意味です。アシㇼパを何度も救ってくれた狼のレタㇻも、珍しい白オオカミということで名づけられたものです。アシㇼパがなぜ自分の服がオヒョウで織ったものではないことに気がつかなかったのかというと、やはりフチの言うように「女の仕事」に興味がなくて、織物などしたことがなかったからということになるでしょうか。

テタラペは樺太ではなく小樽で作られていた

 このアシㇼパのテタラペのモデルになったのが、小樽市総合博物館に所蔵されていた服で、それを野田先生がアレンジした上で、わざと背中の文様を上下逆にして、他には例のないような服を創作したことは、前著『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』で触れたとおりなのですが、実はその後、意外なことがわかりました。

 2022年4月に東京ドームシティで「ゴールデンカムイ展」が開かれた時、この小樽市総合博物館のテタラペも展示されたのですが、その時博物館からこれは樺太ではなく、江戸後期に小樽で作られたものだという指摘を受けました。北海道で作られたテタラペなどというのは私はそれまで聞いたことがなく、そもそもテタラペという言葉自体樺太のアイヌ語ですので、当時そう呼ばれていたということには疑問なしとはしませんが、そのように記録されているということですので、前著で書いたことは一部訂正です。

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 まあそれにしても、小樽の西に位置する余市が、樺太と交易などを通じて同じ文化圏内に属していたことは昔から知られていましたが、小樽でテタラペが作られていたとしたら、小樽と樺太の間にも強い結びつきがあったことになります。樺太から脱出したウイルクがなぜ小樽で家庭を持ったのかという、物語の中では描かれていない経緯について、何かいろいろと想像力を刺激するような事実ですね。

女の被り物

 アシㇼパがいつも頭に締めている刺繍をほどこした鉢巻状のものは、アイヌ語でマタンプㇱといいます。これは、現在でも女性がアイヌ衣装を身につけた時に必ず締めていると言ってよいもので、白老町のウポポイ(民族共生象徴空間)の写真などでもおなじみだと思います。

マタンプㇱを締めたアシㇼパ。6巻総扉より ©野田サトル/集英社