なぜ親ロシア派になったのか
ウクライナの歴史をざっくりと簡単に説明すると、このドンバスという地域は石炭や鉄鋼業で成り立っている工業が主要産業で工場で働く労働者が多い地域だ。ウクライナは1991年、ソ連解体と同時に独立国となった。独立後に社会主義からいきなり資本主義に放り込まれたウクライナは国際競争力が乏しく、ソ連時代よりも経済的に困窮することとなった。さらにソ連時代のウクライナはロシアから安い国内価格の天然ガスが供給されていたが、それが国際価格になって値上がりし、経済的困窮に追い打ちをかけた。その影響をもろに受けたのがウクライナ東部の労働者たちであり、ウクライナ政府に対する不満が溜まっていったのである。
そうした事情もあって親ロシア派住民は、住んでいる地域がロシアになれば様々なものがロシアから供給されて生活が良くなると思っているのだろう。あくまでこれは私の推測であって、実際に話を聞いてみないことにはなんとも言えない。だが、今のウクライナ国内で自分たちは親ロシアだとは口が裂けても言わないであろうから、ロシア側に行って話を聞くしかないのが現状である。ただし、ロシアのプロパガンダを信じ切っている親ロシア派の住民と話が通じるかどうかだが。
シベルスクの街を引き上げることに
ロシアはウクライナ東部のロシア語話者の住民へプロパガンダを発信してきた。ざっくりとしたその内容は、ウクライナ政府はネオナチで、ウクライナ東部のロシア語話者を虐殺している。ブチャの虐殺はウクライナ軍によって行われた、といったもので、テレビやニュースサイトで発信されている。荒唐無稽な内容が多く検証すればすぐに嘘だとわかるものが多い。ロシア国営テレビ RTや、ニュースサイトのスプートニクはヨーロッパでは提供を禁止されている。ロシア語話者以外にも陰謀論者なども信じており、日本人でも少なからず信じている人がいる。
シベルスクの街を車でウロウロするが、あまり話は聞けそうになく、引き上げることに。鉄道をまたぐ橋に差し掛かると街を見渡すことが出来た。橋からまっすぐに伸びた道の先を見ると白煙らしきものが上がっている。おや、と思ったその時にバンッと音が響き渡った。音の方向を見ると1キロほど先の住宅地に煙が上がっている。砲撃が飛んできたようだ。砲撃の嫌な記憶を思い出した私はすぐに車に乗り込み、街を後にしたのだった。
写真=八尋伸