2022年2月24日にロシアがウクライナへ侵攻を開始してから2年。だが、2014年のマイダン革命のウクライナの政治的空白を利用して、ロシアはクリミア半島を併合している。そこから数えると10年となる。ロシアのウクライナ侵略はこの時から始まっていた。

 世界中から短期で決着するだろうと思われていた戦争もウクライナ軍の決死の反抗で持ち直したが、戦争は長期化しつつある。死傷者数は2024年1月時点でウクライナ軍が10万人以上、ロシア軍が30万人以上と言われている。筆者は2022年4月からロシアのウクライナ侵攻を取材。当時は首都キーウを包囲していたロシア軍がキーウ周辺から撤退し始めていた頃だった。ブチャの虐殺を始め、ロシア軍撤退後の惨状は世界に衝撃を与えた。あれからウクライナの状況はどうなっているのかを取材した。

街のいたる所に設置された簡易シェルター。ミサイルが近くに着弾したらここに飛び込むしかない

街のいたるところに設置された簡易シェルター

 ポーランドの首都ワルシャワから夜行バスでウクライナの首都キーウに向かった。夜行バスの乗客はほとんどが女性で、男性はお年寄りが何人かという状況だった。ウクライナではロシア侵攻直後から戒厳令により国家防衛のため、18歳から60歳までの成人男性は特別な許可がない限り出国できない。それでも徴兵を逃れるためや、国外へ避難している家族に会いに行くために、隣国へ密出国したり賄賂を払って出国許可証を取得したりするなど、社会問題となっている。侵攻直後は自国を守るために軍に志願したり、軍事訓練を受けたりする国民が多い事が報道されたが、2年も経つとその機運も薄れて来たようだ。

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 首都キーウに夜行バスで着いてそのままウクライナ東部、ドネツク州の都市クラマトルスクに向かった。クラマトルスクに到着したのは夕方だった。日本を出発してから50時間以上が経っていた。

 クラマトルスクはウクライナ東部のかつての激戦地バフムトから車で1時間ほどの距離にある都市だ。現在の激戦地となっているアウディイウカへのアクセスも容易である。そのため街では多くの軍人をよく見かける。この都市も幾度となくロシア軍からのミサイル攻撃を受けており、街のいたるところにコンクリート製の簡易シェルターが設置されている。