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なぜ弱さに惹かれてしまうのか――現代人の心を揺さぶる“チワワ効果”とは

小川公代が『チワワ・シンドローム』(大前粟生・著)を読む

2024/03/01

genre : エンタメ, 読書

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承認欲求が暴走させる「正義」

 正義の名の下に人を傷つけているのがYouTuber『正義の配信者MAIZU』である。そして、弱者たちの心を意のままに操ろうとするのはMAIZUだけではない。琴美が長年頼りにしてきたミアもまた、そのあざとさや計算高さで数多くの人の共感を集め、インフルエンサーとしての確固たる地位を築いた。MAIZUとミアに共通する承認欲求は、まさに現実世界のネットユーザーたちのふるまいをアイロニカルに浮かび上がらせる。

『チワワ・シンドローム』を読んで、思い出した事件がある。2022年3月にある男性が、池袋の乗用車暴走事故で妻と長女を亡くした松永拓也さんをツイッター(当時)で中傷する投稿をした。その男性は交通事故の被害防止を訴える活動をしている松永さんに対して「金や反響目当てで闘っているようにしか見えません」といった投稿をして侮辱罪に問われ、有罪判決を受けた。彼は、投稿理由として他人を攻撃する動画を投稿すると支持が得られ、拡散されることがうれしかったと語っている[1]。MAIZUらも、なにかしらの「正義」を掲げ、闘うことで人々に承認されることを求めている。

大前粟生『チワワ・シンドローム』カバー
大前粟生『チワワ・シンドローム』カバー

 傷や弱さの消費、共感とSNS上での拡散、言葉の暴力などが絶妙なバランスで描かれる本作では、SNSユーザーたちもまた、歪んだヒーロー像を反面教師としているように見える。たとえば、フォロワーたちに「強者」として認識されないよう、あるいは加害者や二次加害者のレッテルを貼られないよう「弱者」の鎧で自分の身を護っている。琴美は、かつてMAIZUが投稿し、炎上した動画と新太の関係を探っていくなかで、“傷の会”という団体に遭遇する。この団体に属する人々は「私たちを傷つけないでください。…消費しないでください。」と訴える。しかし、皮肉なことに、ネット上で「強く」なりすぎたMAIZUにチワワのような「か弱きもの」の称号を与えることに寄与してしまうのも、MAIZUに傷つけられ、その被害を訴える声を上げた彼らなのである。

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 誰もが弱さを自分のものにしたいと切望する。本作は、そんな病をチワワ・シンドロームと呼ぶ。“チワワを救った少年”といった感傷的な表現を用いて、その美談を拡散させるメディアも、弱者を護るという「正義」の虜になっていくミアも、同じ穴の狢であることが暗に示されている。とはいえ、この小説は羊の皮を被った「強者」たちをジャッジして非難するというより、むしろ人間の瑕疵というものを描こうとしている。評者を含む読者は、人が弱さに触れると共感の渦に巻き込まれてしまう危うさに気づかされ、真に複雑な人間の心に驚愕する。


[1]「『いいね』欲しさにSNSで中傷、有罪判決を受けた24歳男性」(読売新聞、2023年9月19日)https://www.yomiuri.co.jp/national/20230919-OYT1T50004/

チワワ・シンドローム

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きみだからさびしい

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