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おなかに「豚女」と書かれ「当時のテレビ業界では普通の感覚だった」元グラビアアイドル・愛川ゆず季が語る“芸能界でつらかったこと”

愛川ゆず季さんインタビュー #1

2024/03/17

genre : エンタメ, 芸能

note

水着になって下乳も見せていたので親は大激怒

――ご両親には芸能の仕事をするとは話したんですか。

愛川 誰にも言わなかったです。最初は「彩川ゆずき」という名前で年齢も変えて雑誌のグラビアに出たんですけど、それを親の会社の従業員さんが見つけて親に報告したらしくて、それでバレました。

 母は私が水着になってるし、下乳も見せていたので大激怒。実家は愛媛の新居浜なんですが、近所で雑誌が売っているところを全部回って買い占めて、捨てたと言われました。

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 それで親が東京まで来て、一緒に事務所に行きました。母は事務所に入った瞬間、水着の写真とかポスターとかいっぱい貼ってあったことも嫌だったらしくて、猛反対。結局、事務所側に海での白い水着はいいけど畳では下着に見えるから撮らないとか、細かい条件をつけてやっとOKが出ました。

――お母さんが認めてくれたのはいつくらいですか。

愛川 グラビアについては最後まで嫌だったと思うんですけど、ヤングジャンプで表紙を飾ったのは一つ大きなターニングポイントだったのかなと思います。グラビアをやるにあたって夢はヤンジャンの表紙を飾ることだったんですが、デビューして1ヶ月後には叶ってしまいました。

©杉山秀樹/文藝春秋

「若槻はできているよ」といつも比べられて

――事務所にはかなり怒られていたそうですね。

愛川 デビューしてからずっと怒られてましたね。ロケが終わったら、ここの態度が悪かったとかみんなの靴を揃えない、挨拶の声が小さかったとか直すべきところをノートに書かれて。厳しかったですね。

 あとは同じ事務所のタレントと仲良くしないとか言われていました。どうせタレント同士集まってもマネージャーの悪口かお金の話しかしないからって。男の人の写真を撮らないとか、ジャニーズの人と遊ばないとか決まり事が多くて。お酒も飲めなかったし、夜に遊ぶことも全然ないのでパチスロに行ってたんですが、「そんなお金があるんだったらファッションに使いなさい」とも注意されてました。

 痩せろともずっと言われていて。でも仕事先ではロケ弁だし、夜も会食があったりと全然痩せる暇がない。どうやって痩せればいいんですかとマネージャーさんに言ったら「若槻はできているよ」といつも比べられてました。

――ただ愛川さん自身も2005年に「日テレジェニック」に選ばれたり、数々の雑誌グラビアを飾るなど順調に売れていきます。

愛川 日テレジェニックの年にはスーパーGTのイメージガールにもなりました。あと秋元康さんプロデュースの「アイドル芸能社」という番組があったりと忙しい時期でした。あまりに忙しくて自分が何をやっているかわからないくらい。