2000年代、あどけない顔立ちと100センチのバストで人気グラビアアイドルとして活躍した“ゆずぽん”こと愛川ゆず季さん。2010年にはプロレスデビューしたことでも話題となったが、それは芸能人のお遊びではなく、体がボロボロになるのも厭わない真剣なものだった。
「このままやれば死ぬ」と思ったほどのハードなプロレスの日々を振り返ってもらった。(全3回の2回目/最初から読む)
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私だったらプロレスでいけるという謎の自信
――「崖っぷち」に出た後の2010年、愛川さんはプロレスデビューします。どういったきっかけだったんですか。
愛川 当時、事務所には風香さんという女子プロレスラーが所属されていたんですが、彼女の引退試合を見たマネージャーが感化されて「お前だったらいけるからやれ」って言われたのがきっかけです。
私自身、テコンドーをやっていた経験もあるし、風香さんより私の方が強いに決まっていると勝手に思っていて(苦笑)。それに今までグラビアをやっていた知名度もあるし、私だったらプロレスでいけるという謎の自信がありました。
――いざ練習を始めるとタレントとしてでなく、レスラーとして鍛えられる。
愛川 プロレスをやるならちゃんとやりたいと自分から言いました。特別扱いではなく、1レスラーとして本当に泥臭く、体中あざだらけになりながら練習してました。受身の練習で最初は胸が潰れないか気になりながらやっていたんですけど、だんだんアドレナリンが出てきてどうでもよくなってました。
練習期間は給料が出ず、雀荘でアルバイト
――プロレスの練習期間中は事務所からは給料が出なかったそうですね。
愛川 練習期間は全くゼロですね。事務所にも若い子がいっぱい入っていたし、自分も年齢も年齢だったし自分の道を切り開きたいとプロレスを選んだ部分もあります。
貯金も全部なくなりましたし家賃も滞納して、なので雀荘でアルバイトもしてました。店の人に「バニーガールの格好になったら時給1000円アップだよ」と言われたんですが、ただこの人が見たいだけじゃないかと思って、断りました(笑)。
――愛川ゆず季が働いていたらすぐバレませんか?
愛川 やった瞬間にバレて、アルバイトの経験もそんなになかったので苦痛でしたね。でも行ける時間を選べるバイトが雀荘ぐらいしかなかったんですよ。夜の店で働くことも考えましたが、今後プロレスに出て行く時のことを考えてやめておこうと思いました。