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「昭和の洗礼」と書かれたダンプ松本選手の反則攻撃

――2011年、ダンプ松本選手との試合では竹刀やチェーンなどの反則攻撃でボコボコにされ試合後に涙したこともありました。メディアには「昭和の洗礼」などとも書かれた試合です。

愛川 あの試合に対してアンチから「愛川が下手すぎる」と言われたこともあるんですが、YouTubeで獣神サンダー・ライガーさんにその試合を見てもらったとき「ダンプ、なんだこれは」って怒っていたんですよ。要は、プロレスの“ルール”からはずれていた。ダンプさんは大人じゃなかった。だから、あの試合に関して私を批判してくる人は、プロレスを分かってないなって思います。セコンドについてくれた選手も「よくやった」と言ってくれました。

 ただ私は本当に号泣して「こんなプロレスをするんだったら私はやりたくないです。愛媛に帰ります」と言って、実際に帰りました。でも実家に帰ると心が満たされて、ダンプさん以外だったら、試合をしてもいいかなと考え直して戻ったんですが。

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――逆に愛川さんが鹿島沙希選手をボコボコにしてレフェリーストップになった試合もありました。

愛川 昔のスターダムってリアルを試合に入れようと、嫌っている同士の試合を組むことがあったんです。リアルに嫌いで普段から喋ってなかった人と試合をしたから、感情も出るじゃないですか。そういった試合でした。

 あくまでプロレスのルール内でお互いにやれることをやった。だからこそ、今でも鹿島沙希さんとは仲が悪いというわけでもないですよ。

女子プロレス大賞を受賞するも引退

――2011年、2012年と2年連続でプロレス大賞の女子プロレス大賞を受賞しますが、2回目の受賞の直後にプロレス引退を発表します。活躍されている中、なぜ引退を選んだのですか。

愛川 腰も悪かったんですが、メンタルがボロボロになっていたのが最大の理由です。

 プロレスで頑張って、プロレス大賞を取ったら世間的にもすごい人と見られると思っていたんですが、実際には受賞しても何も変わらなかった。プロレスをやってもタレントの仕事も増えない。1回目に受賞した2011年頃から、こんなに体をボロボロにしながらプロレスを一生懸命やっているのに伝わらないなら......とモチベーションを保つのが難しくなりました。

©杉山秀樹/文藝春秋

 プロレスの試合をしながら、ドラマをやっている時期もありました。ドラマのセリフも覚えなきゃいけないし、現場が終わるのが遅いこともある。ある撮影の翌日にタイトルマッチがメインイベントで組まれていて、誰も私の体のことを考えていないなと思って、荒れている時もありました。

 さらに私がハードヒットだった分、どんどん試合が過激化していって、このままだったら体がおかしくなって子供が産めなくなる、このままだったら死ぬと思った時期があったんです。プロレスでは太く短くいこうと最初から決めていたのもあって、デビューから2年半、両国国技館の大会をもって引退しました。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。