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プロレスデビュー、しかし「風当たりは強かった」

――改めてお話を聞くと、プロレスラーになった後のこともしっかり考えていたし、世間的に思われているよりもずっと真剣にプロレスに取り組んでいたんですね。

愛川 そうですね。私の自主興行「ゆずポン祭」のプロデューサーで後にスターダムの社長になるロッシー小川さんが毎日練習に来てくれて、ずっとホームビデオを回しているんですよ。「この人も本気だし、私も本気にならなきゃいけない」と頑張っていました。

 練習を見てくれていた風香さんが私一人のためにシーザージムだったり新木場1stRINGを借りるのはもったいないし、プロレスをやりたい若い子も呼んで一緒にやろうとなって、やがて団体になったのが今のスターダムです。

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――2010年10月に「ゆずポン祭」でプロレスデビューします。デビュー試合は高橋奈苗選手(現・高橋奈七永)ですが、最初はファンからの風当たりも強かった。

愛川 プロレスファンからは「崖っぷちのアイドルがリングに上がるな」とかめちゃくちゃ叩かれました。でも試合後は私の頑張りで見ている人の気持ちがガラッと変わって応援してくれるようになっていて、プロレスの魅力をそこで感じました。

©杉山秀樹/文藝春秋

蹴りがあまりに痛いので対戦相手がいなくなった

――愛川さんは自主興行を経てスターダムの中心選手になります。得意技は蹴りですが、ロッシー小川さんの著書の中で、その蹴りがあまりに痛いのでみんな嫌がって、対戦相手が高橋さんぐらいしかいなくなったとあったのですが、本当ですか。

愛川 本当です。プロレス的な蹴り方をやらなかったので。プロレスの蹴りは当たっていないのに痛がるイメージがあったから「私はぬるいことやってないよ」と伝えたくて。

 強く蹴っていると、相手からはさらに強く返ってくる。それがどんどん重なっていって、自分がボコボコになってました。私も散々蹴っているのでお互い様という感じで、ちゃんとルールの中でやっているので全くお互い恨みもないですし。

 他の選手から自分が徐々に嫌がられているのは感じていましたけど、私が蹴る分はこちらも受けますよと思ってました。

――ストロングスタイルですね。なぜそこまでプロレスに入り込めたのでしょうか。

愛川 デビューの時に「プロレスをなめるな」という声が多かったので、こいつらを見返してやろうという気持ちが最初は大きかったです。エンターテインメント的な感じに見られるのが嫌だったので。それに初期のスターダムは何もできないけど一生懸命、バチバチやるというのが売りだったのもあって、体を張ってました。