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 僕はマイクロソフトに入る以前、日本の大手SIerにいましたし、アジャイルやDevOpsという開発手法のコンサルティングを様々な日本企業を相手に行っていました。そこで必ず言われるのが、「いや、弊社は特殊で……」「それは、うちでは絶対無理です」「アメリカとは商習慣が違いますから……」。「余分なこと」をやめるだけで簡単に生産性が上げられるのに、みんなやる前から無理だと思い込んでいるんです。

 

 でもソフトウェアのような、明日ライブラリのバージョンが変わったら全く動かなくなるかもしれない世界で、開発現場が非効率でスピード感がないというのは致命的なんです。さすがに、クラウドサービスがここまで本格化した時代になって、ようやく従来のやり方でソフトウェア開発をやるのは厳しいという認識が日本でも広まってきて、いま過渡期にあるように思います。

各国の文化の違いによる新技術導入の難度

――なぜ日本では新しい技術導入にそこまで時間がかかるのでしょうか。

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牛尾 興味深い資料があって、アメリカのコンピューター科学者アリスター・コーバーンによると、文化の違いによるアジャイル導入の難度を106ヵ国ほど比較した調査で、実はもっとも難度が高かったのが日本でした。

 図は、彼の分析を僕が日本向けに簡易に整理したものですが、例えば、権力の差、お偉いさんのパワーが強いのはフランスが圧倒的で日本はそこまでではありません。でもなにが一番阻害要因になっているのかというと「個人の自立」です。アメリカやイギリスと比べて、自分の頭で判断して動く自律性が著しく乏しい。もうひとつは「不確実性」を極度に避けたがる文化です。失敗や変更が大嫌いで、綿密に計画・管理しないと不安になる気質です。

牛尾剛氏、作成

 文化圏の違いという要因は根深くて、歴史的に日本文化は儒教の影響を強く受けてきました。目上の人を敬いなさいという儒教はモラルとしては正しいのでしょうが、封建主義的にお上が意思決定して庶民は唯々諾々に従うというノリが社会全体で行き過ぎてしまったように思います。上の人がカラスを白と言うなら「はい、白でございます」というのが社会人としての当然のマナー、絶対顔をつぶしてはいけません、みたいな日本企業多すぎませんか?

 僕はクリスチャンですが、キリスト教の文化圏で面白いのは、人間はキングだろうがホームレスだろうが、神の前ではみな完全に平等という感覚です。だから、企業のなかでボスやマネージャー職が「偉い」という概念がほぼない。意見は対等に交わします。上が間違っていると思えば、下の人でも“In my opinion~”でフランクに意見を表明します。自分と異なる意見を言われたからといって、上が「顔をつぶされた」なんて思うこともない。なぜなら現場の人たちが「ハッピーに」効率よく仕事ができるよう「障害」を取り除くことがマネージャーや管理職の役割というマインドが行き渡っているからです。

――確かに日本企業の多くはまだまだ封建主義的ですね。