米マイクロソフトの超巨大クラウドを最前線で開発する、50代の日本人エンジニアがいる。シアトル在住の牛尾剛さん(52歳)が、現在のポジションについたのは49歳。プログラマの寿命は35歳とも言われるなか、なぜ“三流エンジニア”が第一線で走り続けられるのか? 現地での革新的な学びを凝縮した『世界一流エンジニアの思考法』を上梓した牛尾さんに話をうかがった。
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周りからは「才能ないからやめたほうがいい」と言われていた
――牛尾さんは、世界中で使われている、マイクロソフトのクラウドサービスAzure Functions の開発チームで活躍されていますが、noteなどでよくご自身のことを「3流エンジニア」と謙遜されていますね。
牛尾 いや、ホントに僕はガチ3流です(笑)。もともと日本の大手SIerにいたときは、プログラマとして通用しなかったですからね。コードを書いてソフトウエアをつくるさい、スピードとクオリティが問われます。早く書けて、メンテがしやすく、バグが少ないのが理想ですが、僕はとにかく要領が悪かった。
――本当ですか!?
牛尾 一番やりたい仕事はプログラマだったのに才能が乏しかったから、僕のキャリアは長らく、PM(プロダクトマネージャー)や、アジャイルというソフトウェア開発法のコンサルタント、あとはIT技術を人にわかりやすく伝えるエヴァンジェリストだったんです。
客観的にみて、僕は、コンサルタントやエヴァンジェリストとしての才能はまああったほうだと思います。周りからは「牛尾さん、コンサルとかコーチとかだったら最高だし、PMとしても優秀なのに、なんでプログラミングするんですか?」「正直言って才能ないからやめたほうがいいですよ」と言われてきました。
パソコンをいじり、雑誌に載っていたゲームのコードを丸写ししていた幼少期
――なぜそこまでしてプログラマーになりたかったんですか?
牛尾 僕は子供の頃からパソコン触ってきていて、ソフトウエアの世界で、一番カッコいいのはプログラマだと思っていました。世界のみんなが使ってくれるようなソフトを考えてつくれる奴が一番カッコいいと憧れていました。
僕が小学生の頃、親戚の機械好きの叔父さんがシャープのポケコンというコンピューターを使っていて、「ツヨシ、これでプログラム書けるんやで」と教えてくれました。「これでゲームとかつくれたら格好いいな」と思ったのをよく覚えています。パソコンが大好きで、当時のX1とかMZ-2500とかいじり倒しては、雑誌に載っていたゲームのコードを丸写していましたね。