そんな長篇を花咲舞とともに支えるのが、東京第一銀行企画部の特命担当調査役、昇仙峡玲子である。本書で初登場したキャラクターだ。彼女は、いってみれば銀行のダークサイドに属する人物として登場した。なにしろ彼女が上司から指示された“特命”とは、銀行の不利益を探し出して潰し、潰せなければ永遠に隠すという仕事なのだ。つまり、銀行を良くする、という花咲舞の想いとは、正反対の役割なのである。もちろん、玲子はその任務を命じられるほどに有能だ。そんな二人の女性が本書をグイグイと引っ張っていく。冷たい/熱い火花を散らしながら。ページをめくる手が止まるはずもない。
また、そうしたストーリーのなかで玲子の人となりが少しずつ理解できていく愉しみも味わえる。さらに、そうして理解が深まるタイミングと、本書のクライマックスが同期するという造りは、いやはや流石に池井戸潤。お見事である。
半沢ロス
本書が刊行される二〇二〇年といえば、池井戸潤原作のTVドラマ『半沢直樹』(新シリーズ・主演:堺雅人)が、前作に引き続きお化けのような人気を博した年でもある。七月から九月まで、令和で最高の視聴率で人々を魅了したことは記憶に新しい。
その放送が終了し、いわゆる“半沢ロス”に陥っている方も少なくないと思うが、そんな方にも本書はお薦めだ。というか──ロスの今だからこそ、本書を読むべきである。
“半沢ロス”に陥るような方なら、香川照之演じる大和田暁のライバルとして登場していた紀本平八(段田安則)という常務取締役のことをよく覚えていらっしゃるだろう。その紀本常務が、本書では東京第一銀行の企画部長として重要な役割を果たしているのだ。どれほど重要かは、前述した昇仙峡玲子への隠蔽指示を出したのが他ならぬこの紀本だと書けば伝わるだろう。そんな彼が東京中央銀行の常務に出世するまでに銀行員としてなにを行ってきたのか、そしてこうした指示を出すに到る背後にどんな想いがあったのか。それを深く味わうという愉しみは、“半沢ロス”の方々ならではの特権といえよう。
そればかりではない。やはり『半沢直樹』(新シリーズ)に登場した牧野治(山本亨)も、本書に登場している。彼は本書において、東京第一銀行の頭取として、一つの極めて重大な決断を下している。『半沢直樹4 銀翼のイカロス』もしくはTVドラマ『半沢直樹』を通じて彼の最後を知っている方にとって、本書で牧野が下した決断は、より深いものとして心に刺さってくるであろう。本書は、牧野が、あの最後に到る道を歩み始めた第一歩を描いた作品でもあるのだ。これもまた是非味わって戴きたいポイントである。
まだある。
“半沢ロス”に陥った方は、おそらく、本年九月に刊行されたシリーズ第五作『半沢直樹 アルルカンと道化師』に救いを求めたのではないかと思う。それによって渇きを癒やすと同時に、シリーズの新たな魅力にも気付いたのではなかろうか。江戸川乱歩賞を受賞してデビューした池井戸潤が、ミステリ作家としての才能を注ぎ込んだ、ミステリとしての魅力である。そして、この『花咲舞が黙ってない』も、前述したように、ミステリとしての魅力をたっぷりと備えているのだ。
目の前にある疑問。どんな角度から凝視しても解けない謎。ところが、そこに図形問題でいうところの“補助線”を一本引くだけでパッと視界が開け、真相が見えてくる。そうした鮮烈な刺激が、本書のそこかしこに宿っているのだ。その“補助線”を、花咲舞は銀行員としての知識で見つけ、あるいは足で見つけ、あるいは忖度しない心で見つける。そんな彼女の“探偵っぷり”を愉しめるのだ。そしてそれと同時に、花咲舞が辿りついた真相を潰そうとする紀本・昇仙峡ラインに代表される組織内権力の怖さも、併せて実感することになる。この複雑な美味を、とことん堪能して戴ければと思う。
本稿では、“半沢ロス”の今だからこそ本書を読むべき理由について、三つほど記させて戴いた。この『花咲舞が黙ってない』を探せば、さらに理由が見つかるはずだ。読了された方なら、もうおわかりだろうが。