花咲舞が黙ってない
花咲舞が所属する臨店指導グループとは、事務処理に問題を抱える支店を訪問し、指導を行う部署である。所帯は小さく、事務部次長の芝崎をトップとし、実際に現場に足を運ぶのは相馬と花咲という三人体制だ。
本書で最初に相馬と花咲が訪ねるのは、赤坂支店である。顧客の内部情報が東京第一銀行から外部に流出しているのではないかとの疑いがあるのだ。それが事実なら大問題である……。
第一話「たそがれ研修」で相馬と花咲は、臨店指導という名のもと、情報漏洩の犯人を特定すべく動く。関係者を訪ね歩き、証言を求め、さらに別ルートでも情報収集を進め、そして考えるのである。さながら探偵のように。そう、この短篇は、銀行と取引先を舞台とする短篇ミステリとして愉しめる構造になっているのである。もちろん構造だけではなく、解明に到る道筋もきちんと作られている。短篇ミステリとしての驚愕、つまり見えなかったものが見えてくる瞬間の衝撃が、しっかりと宿っているのだ。しかも、驚愕と衝撃の先には、ある人物の物語が浮かび上がってくる様に書かれている。人間ドラマとして、その“物語”と対峙する花咲舞を含め、魅力的な一篇なのだ。
短篇ミステリとしての読み応えという点では、第二話「汚れた水に棲む魚」も素晴らしい。花咲舞の銀行員としての有能さが、事件の謎を解くうえで有効に機能しているのである。これぞ銀行ミステリ、だ。
その花咲舞の探偵眼は、第四話「暴走」でも発揮されている。彼女は手掛かりに潜む不自然な点に着目し、そこから“なにがあったか”に推理を拡げていくのだ。この不自然な点(花咲舞が着目した点)から結果(つまり事件として目に見えるかたち)までの飛距離が素晴らしい。ミステリファン要注目である。
その探偵眼の使い方も適切だと感じさせるのが第五話「神保町奇譚」だ。ある銀行口座において、持ち主の死後もお金の出し入れがあったという奇妙な出来事の真相を追う作品なのだが、実に佇まいがよい。保身やら出世争いやらではなく、誠実さが作品の中心に宿っているのだ。もちろん犯罪も作中に存在しているのだが、それでも伝わってくるのは、人の誠実さである。舞台設定も含め、素敵な短篇だ。第五話がこうした味わいを備えられたのは、主な登場人物たちが銀行の外側の人々だったことが理由なのだろうか。つらつらとそんなことを考えさせられたりもする。“突撃一辺倒”ではない花咲舞の一面も知ることができて嬉しい。
こうした具合にミステリとして魅力的な短篇の並ぶ『花咲舞が黙ってない』は、短篇を重ねつつも、全体としては一つの大きな物語になっている。前作の『不祥事』もそうだったし、『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』や『シャイロックの子供たち』『七つの会議』など、池井戸潤が得意とする連作短篇のスタイルだ。
このスタイルの特徴は──特に池井戸潤がこのスタイルを用いる際の特徴は──それぞれの物語のページ数は短篇パートと長篇パートで当然ながら違うが、登場人物一人ひとりには、しっかりと重みがあるという点である。短篇パートに軸足を置く人物も、長篇パートに軸足を置く人物も、それぞれが確かに生きていると読み手に伝わってくるのだ。そこに相違はない。その人物を小説としてどう切り取るか、どう見せるかが異なるだけだ。だからこそ、短篇も心に刺さるし、その積み重ねである長篇も胸に響くものとなるのである。ちなみに本書では、第六話と第七話を、それまでの五話より長めの作品とすることで、より長篇としてのクライマックス感を味わえるようになっている。これは、新聞連載の途中で「もっと連載を続けて欲しい」と要望されたことの副産物ではあるが、結果としては、全体として嬉しい進化となった。
そんな具合に長篇として進化した本書は、もちろん、長篇ミステリとしての刺激を宿している。とりわけ第六話「エリア51」から第七話「小さき者の戦い」で示される問い(具体的には三九二ページ)の凄味は極上。目の前にありつつも、それが謎であることに気付かなかったことを思い知らされるのだ。ゾクゾクする。そこから先の決着は、人間関係も含めてそれまでの伏線をしっかり活かしたものとなっており、満足度は極めて高い。