父の見つけたスラックス工場から脱走し、暴走族として度重なる不法行為を重ねたことで少年院に入ることになった、若かりし頃の西村まこさん。1年3ヶ月過ごしてわかった、少年院では表立った暴力よりも“陰湿なイジメ”が横行してしまう理由とは……?

 現在は更生し、出所者の更正支援や街の清掃ボランティアに励行する西村さんの初の著書『「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

暴力団時代の西村さん。若かりし頃の彼女が見た、少年院の壮絶イジメとは?(写真:本人提供)

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 このころ、初めて少年院送りになりました。シャブをやったあとに未成年(深夜)徘徊で補導されました。私の顔がシャブを食ってヨレた顔だったのでしょう。多治見署に連れていかれ、オシッコ採取で陽性反応が出ました。そのまま留置房に20日ほど入れられ、2回目の鑑別所行きです。

 鑑別には1ヶ月ほどいたと思います。鑑別所で面接する調査員の先生に「今度は少年院だな」と言われていましたので、あらかじめ覚悟はしていました。私のなかでは不良をやっているんだったら、年少(少年院)くらい行っておかんと格好がつかんと思っていました。しかし、初回の少年院送致で、いきなり中等少年院1年3ヶ月には驚きましたが。ちなみに、多治見でつるんでいた不良仲間で少年院まで行ったのは私だけでした。

初めての少年院の思い出

 家庭裁判所で少年院送致が決まると、岐阜市内の鑑別所から電車で大阪の枚方にある少年院まで旅行です。手錠をされていますから、そこはタオルをかけて隠し、鑑別所の人間が2人護送につきます。昼前に出て、夕方には少年院の門をくぐっていました。

 初の少年院でしたが、全然ショックとか恐れとかはなかったことをいまでも覚えています。ただ、当時の女子少年院は過剰収容の時代で、各舎房には収容し切れずに、レクリエーション部屋などにも布団を敷いて雑魚寝させられていました。驚いたのはそのことくらいです。女子少年院は男子とは違っておとなしいのです。スラックス工場の女子寮と五十歩百歩という感じでした。

 ですから、少しは刺激を期待していた私としては肩透かしを食らったような感じで、「少年院って、こんなん?」というのが率直な感想でした。

 少年院に入って数日もすると、すぐになじんでしまいました。入院早々にシャバの不良としては通用しない低レベルのボス格のやつをボコボコに殴ってシメました。

 こいつは態度も身体も相当デカく、一人称は「おれっち」と言うような男気取りの女です。こいつが私に向かって、いきなり上から出てきましたから、出鼻をくじく意味で、即ボコってやりました。パンチ一発で大きな尻もちをつき、泣きが入りました。自分でケンカを売っておきながら、開始数秒で戦意を喪失してしまったのです。