1ページ目から読む
3/5ページ目

「今さら新しいことはできない。リラックスしてやりましょうと言ったのかな。そう言っているぼくが一番緊張していたと思うよ」

前田は準々決勝の磐田戦あたりからチームの雰囲気が変わったと振り返る。

「磐田、鹿島という97年、98年のJリーグチャンピオンと当たっていくわけです。負けたら終わり。決勝まで行くぞと言いながら、食事会場がお別れムードというか、寂しくなっていくんです。ぼくは試合の前の日はお酒は飲まない。ただ、(準決勝の)鹿島戦の前夜、サンパイオとちょこっとだけワインを飲んだ記憶がありますね」

ADVERTISEMENT

残り少ない仲間との時間を愛しむ気持ちになっていたのだ。

「元旦の朝、みんなあんまり喋っていなかったような気がしますね」

PJMフューチャーズにいたとき自己啓発セミナーに参加した前田は、5年後に日本一になると目標を立てた。それが実現しようとしていた。調子は良かった。

薩川、佐藤尽との三人のディフェンスの真ん中に入り、身体を張り、味方を叱咤激励した。磐田、鹿島のような試合を続ければ日本代表に呼ばれるかもしれないと思ったこともあった。

ただし――。

準決勝の鹿島戦で薩川がレッドカードで退場、決勝は出場停止処分となった。前田は薩川のポジション、三人のセンターバックの左に入ることになっていた。ややテンションが落ちていたんですと前田は冗談っぽく顔を顰めた。

ホテルからバスで国立競技場に移動、ウォーミングアップのためピッチの中に入ると、自分たちへの好意的な視線を感じた。

「フリューゲルスに対する声援が明らかに多かった。全体がなんというのかな、どんよりとしたお別れの雰囲気のようでした」

ホイッスルが鳴った瞬間、両手を空に突き上げた

快晴の国立競技場には5万人を超える観客が集まっていた。ゴール裏にはフリューゲルスのエンブレムがあしらわれた巨大な応援旗が波打ち、あちこちで旗が振られた。

練習前のウォーミングアップが終わり、ピッチに入る前、ベンチ入り以外の選手を含めて円陣を組んだ。円陣の中にはホペイロの山根もいた。