映画には当時の福岡県警捜査一課長が登場する。
「一課長」という文字を画面に見ただけで胸が騒ぐ。殺人などの凶悪事件の捜査を指揮する“警察の華”が、引退後とはいえ当時の捜査状況を説明し、判断に誤りはなかったと語る。
ここまで話を聴けるなんて凄い。私が警察担当だった頃、一課長とこれほどの関係は築けなかった。
「♪好きだったのよ 一課長 胸の奥でずっと
もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる」
石川ひとみさんのヒット曲「まちぶせ」(作詞作曲はユーミン)の「好きだったのよ あなた」を「一課長」や捜査幹部に置き換えて替え歌にしたあの頃を思い出す。昭和の記者だった私。
「DNA型鑑定結果」スクープの内幕は、記者として脱帽もの
映画の前半では、宮崎さんをはじめ西日本新聞の記者たちが、いかに警察から情報を聞き出していたかが丹念に描かれる。中でも久間さん立件の柱となったDNA型鑑定結果をいち早く特ダネで報じた内幕は、記者として脱帽だ。
捜査にあたった多数の警察官の証言でも、久間さんが真犯人だという確信はみじんも揺るがない。それを見ると、久間さんを逮捕した警察の“正義”、それを報じた記者の“正義”にも一理あると感じられてくる。私も現場の記者ならそうしただろう。
だがこれは、記者が取材先である警察に“同化”してしまっていることを意味する。その一方で、取材現場から一歩引いた報道幹部の見方はかなり違うのが新鮮な驚きだ。
「腑に落ちないというか、本当に犯人か、もしかして違うという思いもありました」
警察に同化していた記者の“正義”が検証報道で別の“正義”に
特に再審請求でDNA型鑑定の証拠価値が事実上否定されたことが大きかったという。
事件から25年、当時の報道幹部が編集局長に、若手記者だった宮崎さんが社会部長になったのを機に、飯塚事件の検証報道がスタートした。事件当時の報道に関わっていない手練れの記者2人を担当にして。宮崎さんが語る。
「彼らの取材で、僕は被告だと。警察取材だけで書き続けた僕の事件記事報道自体も、彼らに裁かれていった」
こういう判断を新聞社として行ったのが本当に素晴らしい。警察に同化していた記者の“正義”が、検証報道で別の“正義”に置き換えられていく。本来すべての報道機関がこうあらねばならないと思う。
宮崎さんが最後に自戒を込めて語る言葉が突き刺さる。ぜひ映画で確かめてほしい。こんな言葉を語ることができる人こそ、報道現場に必要だろう。