1992年2月、福岡県飯塚市で登校中の小学1年生の女児2人が誘拐され、殺害・遺棄された「飯塚事件」。2年半後に逮捕された容疑者は、一貫して犯行を否認。しかし2006年に死刑判決が確定すると2年後に刑は執行された。
冤罪か真犯人か、今なおくすぶり続ける事件にNHK取材班が挑んだ話題作を、自身もNHK出身のジャーナリスト・相澤冬樹氏が絶賛する。
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死刑執行の寸前まで「自分はやってない」
正義の行方? そげんこと、わかりきっちょぉ。「オレはやっちょらせん」ち言い続けたとばい。ろくな証拠もなかったやろが。ばってん警察はいっちょん話を聞きゃせん。新聞も犯人扱いしよる。どげんもこげんもないと、裁判で死刑にされたとよ。この国の司法に“正義”やら、なかろう!
久間三千年(くま みちとし)さんが映画を観たら、さしずめこのように語るだろうか。1992年、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が誘拐され殺害された「飯塚事件」。
逮捕された久間さんは無実を訴えるが、裁判で死刑判決が確定。しかし死刑執行の寸前まで「自分はやってない」と訴え続けた。
捜査に自信を示す警察、いや無実だと裁判のやり直しを求める弁護団。冤罪事件の典型的な構図だ。
当時の担当記者が率直に語った迷いや反省
斬新なのは、そこに「事件を報じた新聞社」の視点を加えたことだろう。福岡の地元紙、西日本新聞による検証報道が陰の“立役者”になっている。その報道に着目したNHKの木寺一孝ディレクターが関係者へのインタビューを重ね、ドキュメンタリー番組を制作。文化庁芸術祭大賞を受賞し映画化された。
新聞・テレビという旧来の“オールドメディア”が自分たちの報道を検証するのは極めて珍しい。取材状況や記事化の判断について、当時の担当記者や報道幹部が実に率直に迷いや反省を語っている。そこが最大の見ものだ。
「とにかく警察取材で特ダネをとること、それだけ」
事件当初から現場で取材にあたった宮崎昌治さんが語る言葉は、そのまま私の経験に重なる。NHK記者としてサツ回り(警察担当)で取材のイロハを学んだ。他のマスコミ記者も同じだった。
そこで何より重視されたのは捜査情報をつかんで特ダネを出すこと。そのためには捜査員や警察幹部と信頼関係を築かねばならない。