食事は正座、友達は呼び捨て厳禁…子ども時代に厳しく躾けられた理由
――松村さんにとって、おばあさまはどのような人でしたか。
松村 もう「全能」です。中学時代なんかはもちろん反発したこともありましたけど、芸能界に入ったのも祖母の鶴の一声があってこそですし、祖母がいたから今の僕があるんだなという気持ちはずっと持っていますね。
――おばあさまに教わったことで大切にしていることはありますか?
松村 礼儀作法ですね、兎にも角にも厳しかったです。小学校の時に「友達を呼び捨てにしてはいけない」と言われていたので、「何々君」「何々さん」と呼ぶのは当たり前でした。
それから、食事中も厳しかったです。家での食事はテレビを一切つけず、2人で向かい合って正座して、僕は祖母が箸をつけるまでずっと箸をつけずに待って。食べ物が口に入っている間は何も話さず、お通夜みたいにただひたすらに食べるというのが、うちの食事でした。
――子どもの頃から厳しく教えられていたんですね。
松村 祖母は字の書き方にもとても厳しくて。年賀状を書く時なんかは、祖母が正面でじっと見ていて、字が曲がったりすると、祖母の手がすっと出てきて「もう1枚書きなさい」と新しくはがきを渡されるんです。「手を抜いたり気の抜けたような字を書くと相手に失礼だから」と。
祖母のそうした教えは、僕にとって大事なことの1つですね。形ばかりの礼儀作法に思えますが、根底には「人を敬え、人に感謝の心を持て」というのがあったのだと思います。
――おばあさまはどうしてそこまで厳しかったのでしょう。
松村 祖母は士族の出身らしいので、その教えを守りたい、引き継ぎたいというのもあったと思います。あとは、僕は両親と離れて暮らしている子どもだったので、祖母としては「それによって不自由があったり、悲しく思ったり、不足に思ったりすることがあってはいけない」という想いや、僕が道を踏み外さないように、という考えがあったと思うんです。
――幼い松村さんにとっては、その厳しさが嫌な時期もありましたか。
松村 やっぱり大きくなるにつれて「友達はなんでこんなにリラックスして自由に時間を使えているんだろう、僕はちょっと不自由だな」と思うことはありましたね。でも高校生くらいから「よくこの経済状況の中で、祖母は僕を何不自由なく育ててくれたな」と考えるようになったんです。
だから厳しく教えてもらって、ある程度束縛されていたことがありがたいなと思うようになりましたね。
17歳で芸能界デビュー、その1年後に祖母が脳梗塞に
――松村さんが芸能界デビューしたのはいつでしたか?
松村 中学2年生の冬休みに、今の事務所の元社長から同級生を介してスカウトされて。その子のお母さんが社長と知り合いだったらしく「あなたの娘の中学校に、タレントになりたい人はいないのか」という話になったらしいんですよ。そうしたら、その同級生が僕のことを話したらしくて、社長が「会いたい」と。ただ、僕は芸能界に全く興味がなくて。
――そうだったんですか。
松村 ええ。でも祖母にその話をしたら「無下に断るのはよくないから、会うだけ会って来なさい」と言うので、六本木まで社長に会いに行きました。僕としては断りに行ったつもりだったんですけど、芸能界に興味がない僕のことが新鮮に映ったらしいんですね。
それで翌日、僕が学校に行ってる間に社長が家に来て、祖母に「預からせてほしい」と直談判したそうなんですよ。で、帰ったら祖母が「あの人は信用ができる。だからやってみなさい。長い人生なんだから、ダメだと思えばやめればいい」と。
――それがデビューのきっかけに。
松村 そうそう、なのでまさに祖母の鶴の一声なんです。