幼い頃に両親と別れ、祖母と2人で子ども時代を過ごした俳優の松村雄基さん(60)。松村さんは、祖母が脳梗塞で倒れたのをきっかけに、18歳の頃から20年間、介護を経験したという。彼は、近年社会的関心が高まっている「ヤングケアラー」(本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話、介護などを日常的に行っている子どものこと)の当事者だったのだ。

 そんな松村さんに、20年間の介護生活や、祖母が亡くなったときの心境、ヤングケアラー問題に対する想いなどを聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)

俳優・松村雄基さん ©佐藤亘/文藝春秋

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警察から「祖母を保護した」と電話があった日

――脳梗塞で倒れたあと、おばあさまは認知症にもなったそうですね。

松村雄基(以下、松村) はい。祖母の介護が始まったのは僕が18歳のときで、それまでは風呂なしの都営アパートに住んでいたんですが、21歳のときに事務所の社長がお風呂付きのマンションを借りてくれて、2人でそこに引っ越したんです。祖母の認知症が始まったのは、それから2、3年後のことでした。

 ちょうどその頃、普段暮らしている1DKの部屋とは別に、同じマンション内でワンルームの部屋を仕事用に借りたんです。大きな声を出してセリフを練習するときに使っていて。いつもは1DKの部屋で祖母と一緒に生活しているんですけど、その日は朝方、ワンルームの部屋で休んでいました。

 そうしたら、警察から僕に電話がかかってきて。

松村雄基さんの祖母・つぎ子さん(写真=松村雄基さん)

――どんな用件だったのですか。

松村 「おばあさんを保護した」って言うんですよ。何があったのか聞いたら、僕が部屋にいなくて心配になった祖母が、外に這って出て行ってしまったと。そうすると扉が閉まってしまって、部屋に戻れなくなったんですね。 

 で、マンションの廊下を伝ってそのまま非常階段まで出たはいいものの、非常階段からも戻れなくなって、そこで僕の名前をずっと呼んでいたそうなんです。それも朝方に。

 それを見たマンションの住人の方が心配して110番通報をしてくださって、警察が保護するに至ったと。それ以前から「忘れちゃったのかな」と思うような出来事はあったんですけれど、その時に完全に「これはもう認知症なんだろうな」というのを認識しました。

――それからどうされたのですか。

松村 さすがにこのままじゃいけないよね、という話になり、叔母一家と同居することになりました。僕としても、祖母を1人にしたくないけれど、どうしても仕事で帰れないような日もあったし、叔母も家庭がありますから、いつでも来てもらうわけにいかなかったので。それが、僕が23、24歳頃のことです。