幼い頃に両親と別れ、祖母と2人で子ども時代を過ごした俳優の松村雄基さん(60)。松村さんは、祖母が脳梗塞で倒れたのをきっかけに、18歳の頃から20年間、介護を経験したという。彼は、近年社会的関心が高まっている「ヤングケアラー」(本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話、介護などを日常的に行っている子どものこと)の当事者だったのだ。

 そんな松村さんに、子ども時代の祖母との生活や、俳優デビューのきっかけ、介護が始まった当時の状況などを聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)

俳優・松村雄基さん ©佐藤亘/文藝春秋

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祖母と2人、風呂なし2Kの都営アパート暮らし

――松村さんは子ども時代、おばあさまと2人で暮らしていたそうですね。

松村雄基(以下、松村) はい。物心ついたときから父方の祖母と2人で、風呂なし2Kの都営アパートに住んでいました。

――当時の家庭収入は、おばあさまの収入のみでしたか?

松村 祖母は色々な仕事をしていたのですが、僕は小さかったこともあり、あまり覚えていなくて。僕は祖母が50歳のときに生まれた孫でしたが、僕が物心つくころには、彼女は詩吟を教えることを生業にしていました。

 当時住んでいた都営アパートは、収入に応じた家賃を支払っていたので、さほど収入がなくても生活ができていたんだと思います。子どもの僕にとっては特に困窮しているというイメージはありませんでしたが、決して裕福な家庭ではなかったと思います。

松村雄基さんの祖母・つぎ子さん(写真=松村雄基さん提供)

――そう思われたきっかけは何かありましたか。

松村 友達の家に行ったらどこも、お風呂があるんですよ。僕は風呂がないのが当たり前で、通いの銭湯に行ってましたから「これが普通の家庭なのかもしれない」と思いました。

――おばあさまから、ご両親のことは聞かされていましたか。

松村 いえ、僕が中学生に上がるころまでほとんど聞かされていませんでした。普段の会話の中で「仕事の都合で一緒には生活できない」と言われたことはあったと思いますが、授業参観なんかも、いつも祖母が来てくれていました。

――ご両親にお会いしたことはありますか。

松村 母親には会えなかったんですが、父親は何度か。子どもの頃に、何年かに1回のペースで会っていた時期があったんですけど、20歳を超えてからはほとんど会っていないです。