「すれ違いコントはパクリなんです、完全に(笑)」
―― アンジャッシュといえば「すれ違いコント」ですが、生まれたきっかけみたいなものはあるんですか。
児嶋 ジュンカッツさんが『アーバン寄席』のネタ見せでやったコントです。街の公衆電話がバーッと並んでいる場所でのコントで、電話をしに来た全然関係ないふたりの会話がいつの間にかリンクしちゃうというネタ。無茶苦茶カッコいいし面白い! と思って、僕らでもやり始めたんです。パクリなんです、完全に(笑)。いや、リスペクトだな。ジュンカッツはその後、そういうネタの方向に行かなかったんですけど、僕らはそのネタで勝ち抜きライブ優勝したりして、「この方向じゃね?」って。
―― それ以前はどんなネタを書いてたんですか?
児嶋 さまぁ~ず(当時はバカルディ)さんに憧れて、ボケとツッコミのシンプルなネタをやってたんですけど、なんかいつも60点、65点ぐらいの笑いで。さまぁ~ずさん的なものは、ボケのセンス、ツッコミのパワーがないと成立しないんです。僕らはそこまでの技量がなかった。そこがよくわかってなかった。
―― デビュー以来の先輩後輩の関係は、まだ続いているんですか?
児嶋 特にくりぃむしちゅーのおふたりには昔からお世話になってます。まさに『ボキャブラ』の頃に僕が上田(晋也)さんちに居候させてもらったり、渡部は有田さんにお世話になったりしてたので、より近くで見てた先輩ですね。『ボキャブラ』のネタを一緒に考えたりしてましたもん。
―― 『ボキャブラ』はネタの時間が短いじゃないですか。それはフリの長いコントを得意とするアンジャッシュさんにとっては……。
児嶋 全然別物でしたね。かといって、番組に寄せていくほど割り切れてなかったのかもしれない。
―― 90年代に『ボキャブラ』に出演した芸人たちは、大半がライブで一緒にやってきたメンバーだったと思うんですけど、周りの変化をどう見ていましたか。
児嶋 わかりやすいのは「あいつ車乗り始めたな」とか、「いいとこに引っ越し始めたな」とかいうことですけどね。話に出てくる言葉も変わってきて、「今からどこどこの局で」とか。でも一番大きいのは、表情とかオーラの変化だと思う。上田さんにしても、有田さんにしても、こっちが勝手に感じてただけかもしれないけど、存在感が変わっていく気がしてましたね。
ナメてかかった『オンエアバトル』
―― 2000年代のお笑い番組といえば『オンエアバトル』が大きいと思います。1回目から出られているんですよね。
児嶋 1回目は出場したんですけど、落ちてオンエアされなかったんですよ。ホント、今思えば生意気なんですけど、結成して6、7年目だし、ライブシーンではかなりのお兄さん的なキャリアだったし、会場では絶対ウケて優勝できるくらいのポジションだったんです。それなのに、なんで後輩たちと番組で競わなきゃなんないのと、ナメてたんですよ。それで様子見ってことで本ネタじゃないショートコントをやったんです。
―― なるほど。
児嶋 そしたら見事に落っこちた。その時オンエアされた後輩に北陽がいたんですよ。はっきり言ってネタの完成度が売りのコンビじゃないでしょ(笑)、なのに北陽に負けたのが、めちゃくちゃショックで。ただ幸運なことに、NHKさんが「アンジャッシュが落ちた」ってことをネタにして、第2回のチャレンジまでを追う特集を組んでくれたんですよ。
―― おぉ、それだけの期待があったんですね。
児嶋 それで次はトップ合格。そこから始まりましたね、僕らの『オンエアバトル』が。『M-1』、『キングオブコント』もそうですけど、ああいう勝ち抜き系番組が始まると、それを区切りに辞めるコンビもいっぱい出てきますけど、僕らもそれぐらいの思いでやってました。